カテゴリー「神社・歴史」の記事

『仏教はあちらから』摩利支天社跡

2016年12月1日 / 丹後の神社, 神社・歴史

先日、大宮売神社の宮司さんが雪囲いをされたと
仰ってたので早速、見に行ってきました。

 

1882

 

やっぱしナイロン製の囲いではなく菰が良いですよね!風情があります。
参拝を終え裏手の禁足の杜を見て裏手にある薬師堂にある薬師如来像を
見てきました。

 

1881

 

物凄く立派なんですよ!この薬師如来像は元々、今の薬師堂の
裏手にある木積山(約270m)の山頂の大伽藍の中にあったそうだ
今も当時のお堂跡があります。

 

さて、帰ろうとふと振り向くと『?』
度々、訪れてるのにも関わらず全く気が付きませんでした

 

1880

 

摩利支天社の跡地だったんですね。
摩利支天とは仏教の守護神で陽炎を神格化したものと言われ
元々、古代インド神話に出てくる女神ウシャスが原型だそうだ。
金毘羅大権現がクンピーラというガンジス川に住む鰐の神。
インド伝来の神様というのは多いんです。仏教はあちらの方から
伝わったのですからそりゃそうかもしれませんね(笑)
ここにあった摩利支天社の事はよく解らず・・・。記録が残ってないのでしょうか?

 

京都府京丹後市大宮町周枳  摩利支天社跡

 

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『京都府北部最古の神社本殿建築』石田神社

2016年11月21日 / 丹波の神社, 神社・歴史

京都縦貫道綾部安国寺ICの直ぐ側にあります。
縦貫道を走っているとナビに何時も出てくるので
何時かは行かないといけない!とここ数年思っておりました。

 

それがまぁ!予想もしてない良い神社でした。
扁額も立派です。

 

1865

 

手水舎の所に昭和8年に書かれた由緒書が
ありましたがあまり詳しい事は解りませんが
石田神社の創建は治承年間(1177~80)頃である
事以外あまりよくわかりませんが歴史的な背景よりも
目を引くのが社殿です。1713年に建てられた切妻、平入、こけら葺、3間社、
流造り、千鳥破風、軒唐破風付。

 

1866

1867

 
京都府指定の貴重な文化財であるのですが
もっと凄いのがこちら、この社殿が建つ以前の社殿で
摂社の恵比須神社(西宮大神宮とも称す。西宮えびす神社からの御分霊?)の
社殿の様式はこの辺の神社では見たことがありません。

 

1869

 

見た目は胴葺きですしそんなに古くは感じられないかも
しれませんが石田神社に残る棟札から推察するに
延慶4年(1311年)に石田神社の本殿として建てられた社殿では
ないかと言われています。なんと鎌倉時代のものです!

 

切妻、平入、銅板葺、桁行3間、こういった様式の社殿は
この辺りでは見かけませんし彫刻もまた見かけるものではありません。
なんとなく神社っぽくないんですよね。どうも禅宗の様式が取り入れられてる
様で神社建築に取り入れられた早い例で、建築史上の価値は非常に
高いようで国指定の重要文化財に指定されています。

 

1870

 

何故、祭神に清和天皇や多田満仲が祀られているのか?
そう言えば、多田満仲の子、源頼光は大江山に住む酒天童子を
退治にやってきています。摂社の恵比須神社が西宮大神宮と
言われてるのか?気になる事もありますがとても
いい神社に巡り会えました(^^)

 

御祭神:清和天皇、六孫王経基、多田満仲
京都府綾部市安国寺町宮ノ腰18の乙  村社 石田神社

 

 

 

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『後醍醐天皇倒幕失敗!』日出神社

2016年11月19日 / 但馬の神社, 神社・歴史

丹後・丹波・但馬は元々1つの国でした。でもそれぞれの地域には
地域の特色があり祀られている祭神にも特徴が出てきます。
但馬の歴史で重要な地位を占めるアメノヒボコ、新羅の国王の子が
渡来してきたと言われています。

 

ここ日出神社にはその4世孫、多遅摩比多訶(タジマヒタカ)が
祀られています。名前の”日出づる神社”ってなんか凄いですね!

 

1862

(イチョウの葉のが美しい絨毯になってました)

 

多遅摩比多訶の孫が三韓征伐をした第14代仲哀天皇の后、
神功皇后になります。そして、兄が多遲麻毛理(タジマモリ)
製菓の神として知られています。常世の国に渡り10年掛けて
香菓を日本に持ち帰ったと言われています。それが今の橘と
言われています。

 

1863

 

案内板には書かれていませんが社殿の脇には

 

1864

 

恒良親王(ツネヨシシンノウ)の名が刻まれた碑があります。
恒良親王は南朝、初代天皇の後醍醐天皇の皇子です。

 

後醍醐天皇が2度目の挙兵に失敗した時に恒良親王は
捉えられ、但馬国に流されます・・・。守護太田守延に
預けられこの境内の建物内で幽閉されたとされています。
この石碑のある場所がその建物があったばしょなのかもしれませんね。

 

御祭神:多遅摩比多訶神
兵庫県豊岡市但東町畑山329 式内社 日出神社

 

 

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Gamada Hidemasa

 

睡眠や寝具の事はプロの目線で、丹後の神社や
歴史の事はよく理解せず書き綴っております。
寝具製作技能士、上級睡眠健康指導士
羽毛診断士(ダウンプロフェッサー)等の
資格を持ってます。お気軽にご相談下さい。
お越しの際には連絡を頂けると幸いです。

 

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