カテゴリー「神社・歴史」の記事

元伊勢伝承と茅葺き神明造り『豊受大神社』

2016年10月1日 / 丹後の神社, 神社・歴史

丹後には元伊勢伝承が残る古社があちらこちらにあります。
その中の1つ『豊受大神社』に行ってきました。福知山市大江町には
元伊勢三社と言われる皇大神社、豊受大神社、天岩戸神社が
あり京都府の自然200選に加えられる自然豊かな場所にあります。
その中の1つにあたります。

 

1799

 

伊勢の外宮と同じように黒木鳥居には榊が掛けられています。
加佐郡誌によると豊受大神が伊勢へ向かう途中、ここで暫く遷座され
そこに社が建立されたと言われています。豊受大神が鎮座された比治真名井だと
してそこから伊勢へ向かうとしたらここはそのルートに当たるのかもしれませんね。
ここは普甲峠という大江山を抜ける主要街道があり、そのルートで伊勢へ
向かったのかもしれませんね。

 

 

1803

 

社殿裏手には龍燈の杉というのがあります。樹齢は1500年。
同様の杉の巨木が皇大神社にもあります。(皇大神社は2000年)

 

1802

 

茅葺きの神明造りです。宮司さんが仰るには(他の参拝者がいらしたので
話が尻切れになりちゃんと聞けませんでしたが)同じ様式で茅葺きの社殿が
残っているのは伊勢の外宮とここ豊受大神社だけだそうです。

その立派な茅葺きもかなり老朽化しており雨漏りもするとか

 

只今、屋根の葺替えの為に寄付を募っておられます。
葺替える職人さんはこの辺りでは美山町にいらっしゃいます。
一昨年は宇良神社で葺替え工事がありました。茅葺きの
社殿や家はどんどん減ってますので職人さんの数も減ってきて
いるようです。

 

1800

とても立派な神楽殿ですね。

 

ここ皇大神社には本殿を囲むように37の末社があり
それぞれの社には社家がありその社家は参拝者を家へ宿泊させたり
神社の参拝案内をしたりしていたそうです。僕の想像ですが
お伊勢詣が盛んだった頃、伊勢までは行けなくとも元伊勢三社で
あればお伊勢詣に行ける人たちが多く参拝してたのではないでしょうか?
そう言った家が37もあったというのは当時の賑わいぶりを表しているのかも??

 

御祭神 豊受姫命
京都府福知山市天田内字東平178-2 旧府社 豊受大神社

 

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ 最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ
※携帯電話キャリアメールからのメールはえびすやからの返信が届かない場合があります。

タグ:

天女の行き着いた場所『奈具神社』

2016年9月27日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

丹後には可能性の濃い薄いは別として元伊勢伝承地というのが
10ヶ所近くあります。そのうちの1つ奈具神社へ行ってきました。

 

1793

 

見た感じ、ここが元伊勢?とも思えるかもしれませんが歴史的には
重要な神社になります。丹後国風土記に『比治真奈井 奈具社』という項が
あり、それが日本最古の羽衣伝説の所以です。

 

1795

 

神社の案内板。

奈具社の祭神である豊宇賀能売命は天女であり
その天女がどんな神でどういう経緯で奈具へやってきたかが書かれている
天女伝説と言うよりもむしろ奈具社に祀られる御祭神の話です。

老夫婦に追い出された天女はこの村を安住の地としここで終焉を迎え
村人によって御祭神として祀らました。

 

1796

 

奈具社は中世(1443年)に大洪水より流されてしまい村も壊滅的な被害を
受けてしまいました。村も廃村になったと言われています。その後、再建されたのが
この奈具神社です。

 

御祭神:豊宇賀能売神
京都府京丹後市弥栄町船木273 式内社 奈具神社

 

 

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ 最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ
※携帯電話キャリアメールからのメールはえびすやからの返信が届かない場合があります。

タグ: ,

『清和源氏武士団発祥の地』多田神社

2016年5月29日 / 摂津の神社, 神社・歴史

多田氏と言えば清和源氏の流れを汲む源氏の一族ですね。
Wikipediaによると多田源氏は

 

平安時代中期に都の軍事貴族であった源満仲は、二度国司を務めた
摂津国川辺郡多田庄を所領として
庄内多田盆地(現在の兵庫県川西市多田周辺)に
入部し、現在の多田神社(旧多田院)付近に居館を
構えて周辺に郎党を
住まわせたとされる。そして、これらの郎党を組織して多田庄に武士団を形成した

ことから、のちに武門として大きく発展した清和源氏一族の最初の拠点となった。

 

とあります。ここ多田神社がその場所です。清和源氏が大きく発展した
きっかけになる場所です。御祭神も解りやすく源満仲、源頼光、源頼信、源頼義、源義家。
源満仲の子源頼光は鬼退治に丹後へ四天王を引き連れて侵攻してきてます。
丹後に近いこの地に強力な武士団があったのです。

 

1608

 

源氏の流れを汲む足利氏や、源氏を称した徳川氏も、多田神社を源氏霊廟と
認めており、
歴代将軍の遺骨を多田神社に分骨しています。現在の社殿は
徳川家綱によって再建されています。
それだけ将軍家に大切にされてきた神社です。

 

1609

 

僕が1番反応したのはここです(笑)3番に家来は名高き四天王と
ありますがこの四天王の一人が誰でもしってる金太郎こと坂田金時。
四天王には加えられていませんが一緒に鬼退治をし、武勇で名を
馳せた藤原保昌はのちに丹後国の国司となります。

 

1612

1611

 

今回は珍しく、東京から各地の神社巡りをしていらっしゃる
ご夫婦と仲良くなり一緒に参拝をさせてもらいました。

 

 

御祭神:源満仲、源頼光、源頼信、源頼義、源義家
兵庫県川西市多田院多田所町1-1  旧県社 多田神社

 

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ 最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ

タグ: , ,

成相寺の光と影

2016年5月20日 / 丹後の歴史, 神社・歴史

先日、初めて宮津の成相寺に行ってきました。
寺伝によれば慶雲元年(704)真応上人の開山、文武天皇の勅願所と言われています。
歴史の古い寺です。今でこそ西国28番札所として観光客で賑わっておりますが

 

1592

 

元々はこれどころではないもっともっと栄華を誇っていたのです。
成相寺に行く参道の脇には『本堂跡地』『五重塔跡地』など跡地に
看板が建てられています。今の規模に比べてもっともっと大きな寺院だったんです。
それを表しているのが成相寺参詣曼荼羅

 

1593
Wikipedia:成相寺よりお借りしています)

 

今の規模とは全然異なり、栄華を誇っていたのです。しかし、戦国期の戦火に
巻き込まれ幾度と無く再興はされるものの江戸期には衰勢の一途で現在は
本堂・地蔵堂・鐘楼・奥の院慈眼堂・仁王門・宝蔵・鎮守堂残すのみとなりました。

 

成相寺の山頂展望台に行くまでに戦火の傷跡が残っています。

 

1591

 

この山からはたくさんの地蔵が出てきてます。(写真は展望台手前)
その地蔵が集められてるのが宮津市難波野の千体地蔵。

 

1594

 

ここに集められています。丹哥府志によると成相山から出たもので大半のものが
室町期から近世初期のもこの間に戦国期も含まれます。恐らく、これは戦火で命を
落とした兵士を供養したものではないのか?

成相寺は南北朝時代・戦国期には激しい合戦地であり成相寺が城の役目を
果たしていたようだ(成相寺城という城も合ったようです)そして周囲には
今熊野城・府中城・阿弥陀ケ峰城と城があり、成相寺からは天橋立が一望できる
とても良い軍事拠点にもなりうる場所です。

 

1569

 

戦国期には守護一色家(一色義有)の力が弱まると丹後守護代延永春信、有力国人衆石川直経の
内紛が勃発。その隙を付いて元々仲の悪い若狭の武田元信、管領家細川政元が加わり、
この地で大合戦が。府中城とこの成相寺が武田元信に取られてしまいます。。。

 

その時になんと・・・一色義有は夜襲をかけ成相寺に火を放ったのです。武田勢は総崩れで
武田元信は命からがら若狭へ戻ったそうです。その時に成相寺と寺を元に戻すという
約束が成されており一色氏の手により再建されているようです。

 

1573
(Wikipedia:雪舟よりお借りしました)

 

雪舟が天橋立図描いてしばらくして成相寺は戦火により焼け
小京都と呼ばれた府中も…。栄華を誇った最後の時を知る事のできる貴重な絵です。

 

京都府宮津市成相寺339 西国第二十八番札所成相山成相寺

 

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ 最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ

タグ: ,

『麻呂子親王を遮った』駒返しの滝

2016年5月16日 / 丹後の古墳・史跡, 神社・歴史

僕は滝が好きなんです。しかも今!この時期の
晴れた日の滝の下にいるとマナスイオンがもう舞い散ってます( ̄ー ̄)ニヤリ
気分は最高です!ただ、来月辺りになると蚊が出だすので今なのです。

 

1576

 

大宮の明田や弥栄の等楽寺から岩滝に抜ける道沿いにあります。
多分、府道53号網野岩滝線になるかと思います。大宮町延利と
岩滝の境辺りにあります。看板が出てるので直ぐにわかると思います

 

脇の小路を下って行くと・・・

 

1577

 

下に見えるお社は恐らくお不動さんかと思います。
滝の近くですからね。

 

1578

 

苔に埋もれてるので分かりにくいかと思いますが見えますか?
岩に丹後地方では珍しい磨崖仏が彫られています。貞和と北朝の元号が
彫られており南北朝時代のものだそうです。その奥に

 

1579

 

丹後町へと逃げていった鬼を追いかけるものの麻呂子親王はこの滝で
足止めをくらいます。小さな滝ですが水量もあり
馬を遮るには十分です。横に地元の民が通る細い道が脇にあったそうですが
大部隊を引き連れた麻呂子親王の舞台は通ることが出来ず一旦
諦めて引き返したと言われているそうだ。

 

京都府京丹後市大宮町延利  駒返しの滝

 

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ 最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ

タグ: , ,

創業明治十年 老舗寝具専門店
ふとんのえび
すや
京都府京丹後市峰山町呉服6
(京都銀行峰山支店前)
定休日:ほぼ無休(不定休)
営業時間:AM9:00~PM7:00

※ご遠方からのお越しの際には
ご連絡をいただけると幸いです。
不定休、諸都合等で休みの場合がございます。


過去の記事はこちらで


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 舞鶴情報へ
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 豊岡情報へ
クリックしてくれると嬉しいです

LINK