カテゴリー「神社・歴史」の記事

成相寺の光と影

2016年5月20日 / 丹後の歴史, 神社・歴史

先日、初めて宮津の成相寺に行ってきました。
寺伝によれば慶雲元年(704)真応上人の開山、文武天皇の勅願所と言われています。
歴史の古い寺です。今でこそ西国28番札所として観光客で賑わっておりますが

 

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元々はこれどころではないもっともっと栄華を誇っていたのです。
成相寺に行く参道の脇には『本堂跡地』『五重塔跡地』など跡地に
看板が建てられています。今の規模に比べてもっともっと大きな寺院だったんです。
それを表しているのが成相寺参詣曼荼羅

 

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Wikipedia:成相寺よりお借りしています)

 

今の規模とは全然異なり、栄華を誇っていたのです。しかし、戦国期の戦火に
巻き込まれ幾度と無く再興はされるものの江戸期には衰勢の一途で現在は
本堂・地蔵堂・鐘楼・奥の院慈眼堂・仁王門・宝蔵・鎮守堂残すのみとなりました。

 

成相寺の山頂展望台に行くまでに戦火の傷跡が残っています。

 

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この山からはたくさんの地蔵が出てきてます。(写真は展望台手前)
その地蔵が集められてるのが宮津市難波野の千体地蔵。

 

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ここに集められています。丹哥府志によると成相山から出たもので大半のものが
室町期から近世初期のもこの間に戦国期も含まれます。恐らく、これは戦火で命を
落とした兵士を供養したものではないのか?

成相寺は南北朝時代・戦国期には激しい合戦地であり成相寺が城の役目を
果たしていたようだ(成相寺城という城も合ったようです)そして周囲には
今熊野城・府中城・阿弥陀ケ峰城と城があり、成相寺からは天橋立が一望できる
とても良い軍事拠点にもなりうる場所です。

 

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戦国期には守護一色家(一色義有)の力が弱まると丹後守護代延永春信、有力国人衆石川直経の
内紛が勃発。その隙を付いて元々仲の悪い若狭の武田元信、管領家細川政元が加わり、
この地で大合戦が。府中城とこの成相寺が武田元信に取られてしまいます。。。

 

その時になんと・・・一色義有は夜襲をかけ成相寺に火を放ったのです。武田勢は総崩れで
武田元信は命からがら若狭へ戻ったそうです。その時に成相寺と寺を元に戻すという
約束が成されており一色氏の手により再建されているようです。

 

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(Wikipedia:雪舟よりお借りしました)

 

雪舟が天橋立図描いてしばらくして成相寺は戦火により焼け
小京都と呼ばれた府中も…。栄華を誇った最後の時を知る事のできる貴重な絵です。

 

京都府宮津市成相寺339 西国第二十八番札所成相山成相寺

 

 

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『麻呂子親王を遮った』駒返しの滝

2016年5月16日 / 丹後の古墳・史跡, 神社・歴史

僕は滝が好きなんです。しかも今!この時期の
晴れた日の滝の下にいるとマナスイオンがもう舞い散ってます( ̄ー ̄)ニヤリ
気分は最高です!ただ、来月辺りになると蚊が出だすので今なのです。

 

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大宮の明田や弥栄の等楽寺から岩滝に抜ける道沿いにあります。
多分、府道53号網野岩滝線になるかと思います。大宮町延利と
岩滝の境辺りにあります。看板が出てるので直ぐにわかると思います

 

脇の小路を下って行くと・・・

 

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下に見えるお社は恐らくお不動さんかと思います。
滝の近くですからね。

 

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苔に埋もれてるので分かりにくいかと思いますが見えますか?
岩に丹後地方では珍しい磨崖仏が彫られています。貞和と北朝の元号が
彫られており南北朝時代のものだそうです。その奥に

 

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丹後町へと逃げていった鬼を追いかけるものの麻呂子親王はこの滝で
足止めをくらいます。小さな滝ですが水量もあり
馬を遮るには十分です。横に地元の民が通る細い道が脇にあったそうですが
大部隊を引き連れた麻呂子親王の舞台は通ることが出来ず一旦
諦めて引き返したと言われているそうだ。

 

京都府京丹後市大宮町延利  駒返しの滝

 

 

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丹後で1番、天橋立が綺麗に見える場所?

2016年5月15日 / 丹後の古墳・史跡, 神社・歴史

今日は成相寺の麓までお仕事に行ったついでに・・・。
勢いで行ってきました!

 

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日本一なんですよ!こんないい場所を放っておいても良いんですか?

 

『桂由美さん!』

 

恋人の聖地に最高じゃないですか。

 

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天橋立が綺麗に見えます!ちょうど今の時期、新緑が
目の前に迫ってくる感じと上手くコラボして絶景です。
写真がイマイチなのはごめんなさい(><)

 

天橋立は伊邪那美命・伊邪那岐命が天への登り降りに使われた
天浮橋だと言われています。桂由美さん放っておく手はないと
思いますが・・・。観光協会へ連絡してあげて下さい( ̄ー ̄)ニヤリ

 

当然、成相寺にも参拝してきましたよ(^^)

 

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この辺りは”府中”という丹後の中心地的な役割を果たす役所が
あったであろう場所です。山の麓には国分寺跡があります。

 

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(雪舟:天橋立図 Wikipediaより)

 

雪舟の天橋立図からも分かる(これはちょっと小さくてわかりにくですね^^;)ように
府中は小京都の様な栄華を誇っていたそうなのですが戦国期の戦乱により
丹後一色家VS若狭武田家の激しい合戦と焦土作戦により灰になってしまいました・・・。

 

 

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『大宮町善王寺にある鬼伝説の足跡』住吉神社

2016年5月2日 / 丹後の神社, 神社・歴史

今日は丹後のお天気は暖かく、お出かけ日和です。
こんな日は配達がしやすく有難いですね。娘を助手席に
載せて一仕事をした帰りに・・・。いつもの神社参拝(笑)

 

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そんなに大きな境内を持つ神社ではありませんが
二の鳥居まであります。

 

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住吉神社のある大宮町善王寺。丹後にはやたらと◯◯寺とつく
地名が沢山あります。それだけ寺が多かったということです。今でも
地名の通り寺が現存するところもあれば存在しないところもあります。
僧をたくさん抱える巨大寺院があちこちに有りました。
丹後町上山、網野町尾坂、峰山町小西、網野町中禅寺・・・。
どれもが相当大きな寺院だったようです。(真言だおしで
配されたかどうかはわかりません)

 

1593年細川忠興によって真言倒しが行われます。
丹後国内にあった四十八ケ寺を廃し僧侶を追放しました。
その時に多くの寺が潰されています。この善王寺も
廃され地名として現在、名を残しています。

 

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こじんまりとした神社ですが善王寺の方々にとても
大事にされているのがよくわかります。

 

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本殿の脇には摂社の秋葉神社?がありますが
裏手には小さな祠があります。しかも菊の御紋が
とても気になります。元々、祀られていた地の神様でしょうか?

 

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七福神でしょうか?

 

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由緒書きを見ると興味深いですね。
源頼光の鬼退治(丹後の3度目の鬼退治伝説)、
四天王(坂田公時、渡辺綱、碓井貞光、卜部季武)ともに
鬼退治をしこの地を平定をした。

 

藤原保昌はかねてより住吉神社を崇敬しており鬼退治の
大願が成就したのでこの地に住吉神社の分霊を祀ったのが始まりと
書かれています。

 

藤原保昌は丹後国の国司として丹後の地へ赴任しています。
その時にあの恋多き美人女性作家、和泉式部の夫として一緒に
丹後へ来てます。なので丹後のあちらこあちらで和泉式部に関わる話が残ってます。

 

 

御祭神:底筒男命・中筒男命・上筒男命・息長足姫命
京都府京丹後市大宮町善王寺小字竹下 旧村社 住吉神社

 

 

 

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『宮津市府中の歴史に示す』飯役神社

2016年4月23日 / 丹後の神社, 神社・歴史

国道178号線を宮津市内から伊根方面に向かう
籠神社手前の海側にひっそりとこの神社はあります。
ちょっと気づきにくいです。

 

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飯役神社とはちょっと変わった名前なんです。最初、御祭神が
豊宇賀能売神ですので食べ物に由来してるんじゃないか?と
思っていたらそうではなく印鑰(いんやく)から来ているんですね。
印は国の印です。鑰は正倉の鍵を意味しています。
正倉とは税を集める倉庫で穀物などが保管されていました。

 

日本にある印鑰神社を調べてみると国府のあった場所によく
ある神社でこの知覚には丹後国の国分寺があり一宮である
籠神社があります。お役所のあった場所になります。税が
ここに集められたのでしょうね。そうなると印と鍵は役所にとって
とても重要なものです。

 

と言うのはわかるのですが・・・。

 

ここは籠神社の御旅所になっています。大名が籠神社を
参拝する際には必ず飯役神社を先に参拝して、それから
籠神社を参拝したそうです。格が高いのです。

 

籠神社の創建は719年(養老3年)であり
そんなに古いわけではありません。籠神社の社家は
元々、熊野郡の海士が拠点でありました。
国府と同時期に建てられている国分寺は聖武天皇に
よって741年から建てられ始めています丹後の国府も
741年以降同時期に建てられた事になります。

 

僕がいつも勉強をさせて頂いてる
丹後の地名様のWebにて興味深い事が書かれていました

 

与佐官と吹井社・吹井大明神の縁起
浮渓ふけい大明神(吹井社)が、飯役宮と改称せられたのは、同地に、印鎰社があって、
浮渓大明神と合祀せられ、豊宇賀能売神の飯盛りの役と印鎰の鎰とが重なって、
その名称を生じたものである。浮景の浦に存在して、丹波道主、氷沼道主、
豊宇賀能売神等をお祭りした古社である。
与佐宮大神即ち、真名井大神、籠宮大明神とは、極めて関係が深く、
幕末以前までは、籠宮大神の御神幸の祭礼に、御神輿の御旅所となっていた
宮処である。この社は、所謂神仏習合時代に、本地仏として、鬼子母尊神を
祭っていた関係もあって、本来は、与佐宮大神の所管社であらねばならぬに拘らず、
室町時代の中期以後日蓮宗に属する寺院、妙立寺の鎮守となっている。
この寺に、飯役大明神縁起が伝えられているから、これを左に妙録しよう。…

 

元々、飯役社ではなく吹井社であった。吹井社と印鑰社と合祀されて
飯役神社となった。最初、考えていたことはあながち遠くはなく豊宇賀能売神の
飯盛役と印鑰を掛けて飯役神社とあります。豊宇賀能売神の飯盛役とは
誰なのでしょう?印鑰社は741年以降に建てられ、吹井社はそれ以前にあった
のかもしれません。

 

丹後の地名様のWebを御覧ください。面白いことがいろいろと
書かかれていらしゃいますので(´艸`)

 

御祭神 豊宇賀能売神
京都府宮津市中野  飯役神社

 

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創業明治十年 老舗寝具専門店
ふとんのえび
すや
京都府京丹後市峰山町呉服6
(京都銀行峰山支店前)
定休日:ほぼ無休(不定休)
営業時間:AM9:00~PM7:00

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