カテゴリー「神社・歴史」の記事

丹後の聖地。月の輪田

2015年6月8日 / 丹後の古墳・史跡, 神社・歴史

5月25日に今年も月の輪田で田植えが行われました。
今年ことは是非行きたいと思っており、お誘いも受けていたのですが・・・。
残念ながら子供の運動会!(><)

月の輪田は手前ではなく写真真中あたりに小さな水の張られた
田んぼが見えます。そこが月の輪田です。しかし、戦後の区画整理事業に
より少し移動したそうです。ちょっと残念なことですが・・・。

ここは豊受大神が初めて稲作を始めた場所と言われています。
伊勢の外宮に祀られているあの豊受大神です。雄略22年に伊勢へ
向かわれるまではこの丹後の地におられたのです。

その豊受大神は単に五穀豊穣の神というわけではなく米作り、酒造り
製鉄、養蚕、織物・・・。様々なものを伝えています。丹後では至る所に
製鉄が行われていた跡があります。鉄器が農業生産を支えていたのでしょ。
その鉄に纏わるのが鬼伝説。それに付随した話もたくさん言い伝えられています。?

話は飛んでしまいましたが丹波国(丹後・但馬・丹波)の発展は
ココから始まったんじゃないかな?と自分で思い込んでいるのですが
そう思えば、この近くに来るとこの場所を素通り出来ず、ついつい車を停め、
ボーっと眺めてしまいます(^^)

今年も豊かな実りがありますように・・・。

京都府京丹後市峰山町二箇小字二本松  月の輪田

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神を救った巨岩伝説『阿蛇岡神社』

2015年5月18日 / 丹波の神社, 神社・歴史

氷上の田園の中にはとある延喜式内社阿蛇岡神社があります。
卿や武家の崇敬が厚く、明治維新の元勲、岩倉具視は自筆の神号を奉納しています。

神社に行くと必ずすること。
本殿を参拝後、裏手に回ります。そこにおっ!と
思わせるようなものが結構あったりするんです。 ここにもありました。

これ、絶対に何かある磐座ですよ!明治神宮の
遥拝所も兼ねてるんでしょうか?あとで調べてみると・・・。

阿蛇岡神社には神を救った巨岩伝説というのがあります。
伝承によるとこの辺りで大洪水が起こり、神(木花咲耶姫)が
濁流に流されてしまったがこの岩に掴まり、助かったとか・・・。

木花咲耶姫の別名は神吾田鹿葦津比賣命 (カミアタカアシツ ヒメノミコト)と言います。
阿蛇岡神社の”阿蛇(アダ)”は吾田(アタ)から来ているのでしょう。
九州の薩摩半島に”薩摩隼人”と呼ばれる 部族がいたのですが別名、吾田隼人。
木花咲耶姫を薩摩隼人は祀っていたんですね。で、この辺りの神社で
日下部氏に関係してそうな神社に出会うのですが調べてみると日下部氏は
薩摩隼人の末裔にあたるそうだ。

日下部氏は但馬国造で丹後にも影響力を持っていた一族。雄略天皇から丹後へ
逃げてきた億計王・弘計王を匿ったのも日下部氏。丹後・丹波・但馬で
きっと大きな力を持っていたのでしょう!日下部氏。

御祭神:吾田鹿葦津比賣命
兵庫県丹波市春日町多利2467-1  延喜式式内社  阿蛇岡神社

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『もう一つの浦島伝説』網野神社

2015年5月6日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

京丹後市には浦島伝説に因むと言われる神社があります。
浅茂川の浜の近くにある嶋児 神社、下岡にある六神社、
そしてここ網野神社。

水江浦嶋子(みずのえのうらしまこ) (網野町のうらしま太郎伝説)  

昔、銚子山古墳の地続きに日下部氏の屋敷がありました。
日下部曽却善次(くさかべそきゃくぜんじ)夫婦には子供がなく、
子宝に恵まれたいと百日祈願をしていました。満願の夜、夫婦は
不思議に同じ夢を見ました。  神から「二人の願いを聞き届けよう。
明朝、福島へ来い」とのお告げです。翌朝、出かけると赤子が
置かれており、夫婦は「嶋子(しまこ)」と名付け大切に育てました。  
釣り好きの若者に成長した嶋子は、澄の江での漁の時は釣った魚を
一旦磯の「釣溜(つんだめ)」にビクのまま漬けておいたといいます。  
ある日、嶋子は福島で大変美しい娘に出会いました。乙姫様でした。
二人は、夫婦の約束をし、小船で竜宮城へ行きました。手厚いもてなしを
受け三年の月日が経ちました。  嶋子は故郷が恋しくなり、帰ることになりました。
乙姫様が「お別れに手箱を差し上げます。再びお出でくださる気持ちが
あるなら、決して中をお開けなさいますな」と美しい玉くしげ(玉手箱)を
手渡しました。 嶋子は懐かしい万畳浜へ帰ってきました。ところが、屋敷に
着いてみると、雑草が茂って一面の荒野原に……。竜宮城での一年は、
人間界の何十年にもなっていたのです。嶋子は悲しみ、途方に暮れました。
その時、玉くしげのことを思い出し、これで数百年の昔に戻れるのではと箱の
蓋を開けました。すると中から白い煙が立ち上り、嶋子はしわだらけのおじいさんに。
驚いた嶋子は思わず自分の頬のしわをちぎって榎に投げつけました。その後、
嶋子がどうなったかはわかりません。(網野町資料から)

網野神社公式Webより抜粋

浦島神社に参拝した時にお聞きした話とはちょっと異なりますが
骨子は似ているかと思います。ここに日下部氏が出てきます。浦嶋太郎は
日下部氏なのでしょう。網野神社の森家は元々、日下部の姓を名乗っていたそうです。
その森家に伝わる系図によると日下部曽却善次は開化天皇の皇子、
開化天皇の皇子、日子坐王の末裔にあたると。日下部曽却善次のまたの名を
浦島太郎、その長男『嶋児』が龍宮城へ行った浦島太郎にあたるとか。
浦島太郎の名は世襲ってことになるんでしょうかね?

日下部氏と言うのはこの辺りに大きな勢力を持っていたであろうと思われる氏族です。
日下部氏は日子坐王の後裔にあたると言われています。この彦坐命を祀る神社は
この辺りに多いのです。僕の行った神社では但馬国一宮粟鹿神社、但馬国旧県社赤淵神社、?
但馬国宇都野神社、 丹後国旧府社竹野神社などがあります。?

日下部氏という氏族は一体どんな氏族なのでしょうね??

近くに住んでいながらあまり足の運んだことのない神社なのですが
改めて参拝してみるととても良い神社ですよね(^^)

紋は丸に三つ引きは足利将軍家と関わりの強い紋です。
戦国期に丹後国を治めていた一色氏は足利一門ですから
その関係なのでしょうか。

御祭神:日子坐王、住吉大神、浦嶋子神

京都府京丹後市網野町網野789  式内社(旧府社)網野神社

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家族は…。

2015年5月3日 / えびすやにあるもの, 丹後の歴史, 寝具のはなし, , 神社・歴史

『僕を放って、BBQ(T_T)』

お店に居なくてはなりませんので仕方ありません。
で、今日は柿渋染めをしながら読書です。

今日は店に置いてある展示品の麻のシーツを染めてみました。?
麻は何故、夏に使うのか?えびすやも夏季は麻素材をオススメします。

その訳は、


①吸湿発散性に優れる 。汗を吸収しても素早く放湿するのでサラリとします
②ヒンヤリ感がある。肌に触れると心地よい涼しさがあります。
③肌に密着しにくい。通気性がある。

なので 古来より麻は重宝されてきてるんです。で柿渋染めをしてみると
生地がザラッとしますので生地の感触の好き嫌いは別として、僕の感覚としては
より夏向きに感じます(^^)それに柿渋の持つ、消臭効果や抗菌作用も 期待出来ると思います。
昔は釣り糸や漁網を柿渋で染めてたそうですよ。?

染めの様子を見ながら今日はこの本を読んでます。

古本で買った

『西丹波秘境の旅』著者:澤潔(かもがわ出版)

澤潔氏は京丹後市峰山町出身の同郷の大先輩です。
丹後の地名を研究されたり、民族学的な伝承などの目線から
古代史の話を書かれていて、澤潔氏の本は面白いですね。

その中で丹後の浦島伝説がどの様に広がったのか?それが
書かれておりました。丹後に伝わる浦島伝説は日本で最古と
言われています。(文献として残るものとして:丹後国風土記逸文)

逸文を現代訳で要約すると、時代は雄略天皇22年(神代478年)の時、
雲龍山の麓、筒川庄水の江の里に住む青年、浦嶋子は一人舟で釣りに
出て、3日3晩の後に五色の亀を釣りあげる。青年がうたた寝をしている間に
亀は絶世の美女に変身し、嶋子は誘われるままに常世へと連れられる。
美女の名は亀姫。嶋子は常世で姫と結婚し夢のような3年間を過ごすが、
やがて望郷の念にかられて一人帰郷する。亀姫はその別れ際に、
決して開けてはならないと注意して玉櫛笥[たまくしげ]を渡す。
嶋子が戻ったのはなんと300年後。すでに知る人もなく呆然として
つい玉手箱を開けると、若々しい肉体は瞬く間に天空に飛び散った…。
この話を耳にした淳和天皇(在位823~833年)が勅使に命じて嶋子を
祀ったのが宇良神社という。

JR西日本Blue Sigunal 様のサイトより抜粋

ちなみに雄略天皇22年と言うのは豊受大神が丹後(丹波)から伊勢へ向かわれた
時でもあります。?

浦島伝説が伊根の筒川から発したものであるとするのであればそれが伝播
していったルートは由良川をさかのぼったのではないか? 由良川沿いで気になるのが
大川神社の伝承。

社伝によれば、顕宗天皇の元年三月に、由良川域の漁師野々四郎が
漁を営んでいたところに、『金色の鮭に乗り、右手に五穀の種、左手に
蚕を携えた神』が川下から現れて、野々四郎に「当地に鎮座したいので
社殿を造営せよ」と託宣したのが大川神社の起こりだそうです。
『金色の鮭に乗り、右手に五穀の種、左手に蚕を携えた神』 は
保食神を連想させますが、丹後の地に於いて『五穀と桑蚕の種を持つ神』とは
本来、豊受大神を指します。大川神社の主祭神はさしずめ「豊受稲荷大明神」と
いったところでしょうか?

 

凡海郷様のサイトより抜粋
なんだか浦島伝説の亀と羽衣伝説の豊受姫神が混ざったような
感じがしてきますね。

福知山の戸田という地域に行くと浦嶋神社があります。この神社じたいは
古くありませんが浦島太郎に纏わる伝説が古くからあるそうです。由良川を
遡上した伝承が畿内へと広まって行ったのではないか?という事だそうだ。

丹後の人間として贔屓目込みで丹後の浦島伝説が元となってると思ってます( ̄ー ̄)ニヤリ
突っ込まないでくださいね。だってそう思い込んでるんですから・・・。(笑)

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『稗田野といえば稗田阿礼?』?田野神社

2015年4月23日 / 丹波の神社, 神社・歴史

稗田野と言えば稗田阿礼が思い浮かびます。
稗田阿礼(ひえだのあれ)は天武天皇に命じられ
古事記編さん大きく関わった人物であり稗田氏は
猿女君と同族でアマノウズメを始祖としています。

どうやら癌封じ、婦人病にご利益があると言われる有名な神社だそうです

茅の輪くぐりではなく石の輪くぐり。
全体的にテーマパークっぽくいろんなパワースポットが
境内内に点在しており、稗田阿礼の雰囲気が感じません。

祭神も保食神、大山祇神、野椎神…。稗田阿礼がいません。
神社の起こりは相当古いようで3000年前にはこの辺りに人が住み付き
この社殿の裏で弥生期に祭祀が行われていたそうです。そう言われると
この裏手の鎮守の杜と言いますか盛土は空気感が全然、違います。
厳かな雰囲気が漂っています。神社の創建は709年。丹後建国(丹波国解体の4年前)
この辺りの古社の創建はこの前後が多いですね。

掘れば何か出てくるんじゃないでしょうか(^^;

稗田阿礼は関係なかったのか…と思っていたら
少し離れた所に稗田阿礼が祀られているお社が!

祀られたのは最近のようですが
この付近に稗田阿礼が住んでいたという伝承は残ってるそうです。
ただし、それ以上はよくわからず(><)

御祭神:保食神、大山祇神、野椎神

京都府亀岡市稗田野町佐伯垣内亦1  式内社 ?田野神社

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ふとんのえび
すや
京都府京丹後市峰山町呉服6
(京都銀行峰山支店前)
不定休(ほぼ無休)

AM9:00~PM7:00


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