カテゴリー「神社・歴史」の記事

家族は…。

2015年5月3日 / えびすやにあるもの, 丹後の歴史, 寝具のこと, , 神社・歴史

『僕を放って、BBQ(T_T)』

お店に居なくてはなりませんので仕方ありません。
で、今日は柿渋染めをしながら読書です。

今日は店に置いてある展示品の麻のシーツを染めてみました。?
麻は何故、夏に使うのか?えびすやも夏季は麻素材をオススメします。

その訳は、


①吸湿発散性に優れる 。汗を吸収しても素早く放湿するのでサラリとします
②ヒンヤリ感がある。肌に触れると心地よい涼しさがあります。
③肌に密着しにくい。通気性がある。

なので 古来より麻は重宝されてきてるんです。で柿渋染めをしてみると
生地がザラッとしますので生地の感触の好き嫌いは別として、僕の感覚としては
より夏向きに感じます(^^)それに柿渋の持つ、消臭効果や抗菌作用も 期待出来ると思います。
昔は釣り糸や漁網を柿渋で染めてたそうですよ。?

染めの様子を見ながら今日はこの本を読んでます。

古本で買った

『西丹波秘境の旅』著者:澤潔(かもがわ出版)

澤潔氏は京丹後市峰山町出身の同郷の大先輩です。
丹後の地名を研究されたり、民族学的な伝承などの目線から
古代史の話を書かれていて、澤潔氏の本は面白いですね。

その中で丹後の浦島伝説がどの様に広がったのか?それが
書かれておりました。丹後に伝わる浦島伝説は日本で最古と
言われています。(文献として残るものとして:丹後国風土記逸文)

逸文を現代訳で要約すると、時代は雄略天皇22年(神代478年)の時、
雲龍山の麓、筒川庄水の江の里に住む青年、浦嶋子は一人舟で釣りに
出て、3日3晩の後に五色の亀を釣りあげる。青年がうたた寝をしている間に
亀は絶世の美女に変身し、嶋子は誘われるままに常世へと連れられる。
美女の名は亀姫。嶋子は常世で姫と結婚し夢のような3年間を過ごすが、
やがて望郷の念にかられて一人帰郷する。亀姫はその別れ際に、
決して開けてはならないと注意して玉櫛笥[たまくしげ]を渡す。
嶋子が戻ったのはなんと300年後。すでに知る人もなく呆然として
つい玉手箱を開けると、若々しい肉体は瞬く間に天空に飛び散った…。
この話を耳にした淳和天皇(在位823~833年)が勅使に命じて嶋子を
祀ったのが宇良神社という。

JR西日本Blue Sigunal 様のサイトより抜粋

ちなみに雄略天皇22年と言うのは豊受大神が丹後(丹波)から伊勢へ向かわれた
時でもあります。?

浦島伝説が伊根の筒川から発したものであるとするのであればそれが伝播
していったルートは由良川をさかのぼったのではないか? 由良川沿いで気になるのが
大川神社の伝承。

社伝によれば、顕宗天皇の元年三月に、由良川域の漁師野々四郎が
漁を営んでいたところに、『金色の鮭に乗り、右手に五穀の種、左手に
蚕を携えた神』が川下から現れて、野々四郎に「当地に鎮座したいので
社殿を造営せよ」と託宣したのが大川神社の起こりだそうです。
『金色の鮭に乗り、右手に五穀の種、左手に蚕を携えた神』 は
保食神を連想させますが、丹後の地に於いて『五穀と桑蚕の種を持つ神』とは
本来、豊受大神を指します。大川神社の主祭神はさしずめ「豊受稲荷大明神」と
いったところでしょうか?

 

凡海郷様のサイトより抜粋
なんだか浦島伝説の亀と羽衣伝説の豊受姫神が混ざったような
感じがしてきますね。

福知山の戸田という地域に行くと浦嶋神社があります。この神社じたいは
古くありませんが浦島太郎に纏わる伝説が古くからあるそうです。由良川を
遡上した伝承が畿内へと広まって行ったのではないか?という事だそうだ。

丹後の人間として贔屓目込みで丹後の浦島伝説が元となってると思ってます( ̄ー ̄)ニヤリ
突っ込まないでくださいね。だってそう思い込んでるんですから・・・。(笑)

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ
最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ

タグ: ,

『稗田野といえば稗田阿礼?』?田野神社

2015年4月23日 / 丹波の神社, 神社・歴史

稗田野と言えば稗田阿礼が思い浮かびます。
稗田阿礼(ひえだのあれ)は天武天皇に命じられ
古事記編さん大きく関わった人物であり稗田氏は
猿女君と同族でアマノウズメを始祖としています。

どうやら癌封じ、婦人病にご利益があると言われる有名な神社だそうです

茅の輪くぐりではなく石の輪くぐり。
全体的にテーマパークっぽくいろんなパワースポットが
境内内に点在しており、稗田阿礼の雰囲気が感じません。

祭神も保食神、大山祇神、野椎神…。稗田阿礼がいません。
神社の起こりは相当古いようで3000年前にはこの辺りに人が住み付き
この社殿の裏で弥生期に祭祀が行われていたそうです。そう言われると
この裏手の鎮守の杜と言いますか盛土は空気感が全然、違います。
厳かな雰囲気が漂っています。神社の創建は709年。丹後建国(丹波国解体の4年前)
この辺りの古社の創建はこの前後が多いですね。

掘れば何か出てくるんじゃないでしょうか(^^;

稗田阿礼は関係なかったのか…と思っていたら
少し離れた所に稗田阿礼が祀られているお社が!

祀られたのは最近のようですが
この付近に稗田阿礼が住んでいたという伝承は残ってるそうです。
ただし、それ以上はよくわからず(><)

御祭神:保食神、大山祇神、野椎神

京都府亀岡市稗田野町佐伯垣内亦1  式内社 ?田野神社

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ
最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ

タグ:

『ホンマはここらへん凄い』三坂神社

2015年4月18日 / 丹後の神社, 神社・歴史

先日、セントラーレホテル京丹後で総会がありましたので
ちょっとばかり三坂神社へ参拝してきました。丹後マスターズビレッジ
建設にあたって神社は平成6年に移動し現在の位置に移動してます。

神社は最初からずっとその場所に有るわけではなく
なにかの訳で遷宮することがよくあるわけです。
この三坂神社は平成6年の前には明治42年にも遷宮しています。

今は開発されてその面影はありませんが紀元0年前後の三坂神社墳墓群が
あります。そこには有力者、及びその家族39人が埋葬され、ガラスの勾玉、管玉、小玉が
3000点に武器や農具の鉄製品が出ています。ごっそりと副葬品が出ていながら
鏡が1面も出てこない。またガラス玉の埋葬などが朝鮮半島南部とよく似てるそうだ。
となり町の与謝野町加悦の加悦は朝鮮半島にあった『伽耶』と関係があると
言われてますのでココも同じような流れを汲んでいるのかもしれませんね。

参照:丹後の地名様Web

この近くにある大宮賣神社も相当古く、古代祭祀場だったとも言われていますし、
その大宮賣神社で祀られている女神ではないか?と言われる40代の女王らしき
女性の骨が見つかった大谷遺跡があります。ココでは三種の神器(鏡・剣・珠)が
出土し、全国的にもレアなケースだとか。

当時、一体どんな所でどんな営みがあったのでしょうね。ゾクッとします(><)

御祭神 伊邪那岐命
京都府京丹後市大宮町三坂干塩 旧村社 三坂神社

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ
最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ

タグ: ,

各種クレジットカード・PayPay対応

ふとんのえびすや
京都府京丹後市峰山町呉服6
(京都銀行峰山支店前)
定休日:ほぼ無休(不定休)
※御来店前に連絡を頂けると幸いです
営業時間:AM9:00~PM7:00

 

 

Gamada Hidemasa

 

睡眠や寝具の事はプロの目線で、丹後の神社や
歴史の事はよく理解せず書き綴っております。
寝具製作技能士、上級睡眠健康指導士
羽毛診断士(ダウンプロフェッサー)等の
資格を持ってます。お気軽にご相談下さい。
お越しの際には連絡を頂けると幸いです。

 

フォローしてね

LINK

 

 

過去の記事はこちらで

クリックしてね!


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 豊岡情報へ
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 舞鶴情報へ