カテゴリー「丹後の歴史」の記事

丹後の神社のご案内

2020年7月26日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

たまに

 

『丹後の神社を案内して欲しい!』

 

 

知り合いのつてなどで頼まれる事があり
時間があれば極力、案内をさせて頂くように
しています。何かを感じられた方はそれから
一人で定期的に参拝に行かれる方
結構いらっしゃいます(^^)

 

 

今回、ご案内をさせて頂いたのは
(というよりも僕も行きたかったのですが)

 

久美浜町の矢田神社。
写真撮ってないので5~6年前の写真です。
今は拝殿が改装されるなど氏子さん達が
大切に守っておられる神社です。

 

僕が書くよりもこちら玄松子の記憶さんのWebの
方が解りやすいのでリンク張っておきます。
祭神は建田背命、武諸隅命、饒速日の6世孫、7世孫にあたります。
武諸隅命は孝霊天皇の輔弼(補佐役)として活躍した人物です。
饒速日は天照大神の孫にあたり、瓊瓊杵とは兄弟に当たり
古事記に出てくる話の山幸彦、海幸彦にあたるとされる話は
丹後国一宮、籠神社の社伝です。そのルーツがこの
矢田神社にあたると言われています。

 

 

そして久美浜の神谷神社
ここは丹波道主命が祭られています。四導将軍の一人です。
ここの神社にある磐座が迫ってくる勢いがあり圧倒されます。
丹後の中でも3本の指に入れてもよい磐座ともいえます。

 

 

 

これも写真を撮ってないのでかなり前の写真です。
息子が保育園か小学校行きだした頃の写真です(^^;
上の写真の割れ目から夏至の日に日が昇ります。
一見、自然のものの様に見えて人工物なのかも
しれませんね。

 

 

それとあと一カ所、参拝してきましたが
実は丹後の方は地元の神社をまりご存じでないんです。
たっぷりと深い歴史がありながらも…。
この3カ所に参拝した時に出会った、他の参拝者は
他府県の方でした。遠方から丹後の歴史や神社の事を
調べて来られるのです。

 

 

丹後の神社へ行こう!

 

 

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桃太郎はホントに正義だったのか?

2020年2月3日 / 丹後の歴史, 日々の話

今日は超久しぶりの歴史の話です。

 

 

 

 

 

小6の女の子が200冊もの鬼伝説に纏わる著書を読み比べて
本を出版した事をご存知でしょうか?
「桃太郎は盗人なのか? ~『桃太郎』から考える鬼の正体~」
(新日本出版社、本体価格1500円で販売中)
タイトルが凄く興味深いですよね。

 

 

僕たちが知ってる桃太郎は勧善懲悪・忠孝勇武
悪の限りを尽くしため込んだ財宝を取り戻す!
それが一般的なストーリーですよね。ところが…
読み比べて女の子が気付いたのは

 

 

(1)江戸~明治初期は、鬼から宝物を奪っている
(2)明治末ごろから、鬼がみずから宝を差し出すようになっている
(3)昭和になると優しい鬼が出てくる

 

段々非力になってますね(^^;

 

桃太郎盗人説というのがありましてそれを
唱えたのがなんと福沢諭吉!鬼は強盗であると
言います。忠孝勇武の物語は水戸学派の考え方が
影響している様です。

 

 

さて、丹後にも鬼伝説が三つあり
『酒呑童子』『陸耳御笠』『英胡・軽足・土熊』が
絶対的な悪として源頼光、磨呂子親王などに
討伐されました。果たしてこの丹後の鬼達も
ホントに悪だったのだろうか?

 

 

大江山の周囲の集落では節分の時に
『鬼は~内!』と言って豆をまく地域や
特定の家があります。鬼といっても
立場が違えば正義にでも悪にでもなるのです。

 

 

我家は数年前から鬼を追い出すのを辞めました(^^)

 

 

 

 

同時に豆まきも現代風に!
後で美味しくいただきます(^^)
皆さん、豆まきはもうお済ですか?

 

 

 

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丹後には巨大寺院が沢山あった

2019年8月22日 / 丹後の歴史, 神社・歴史

1593年、細川忠興が丹後国にある真言宗系の四十八ヶ寺を
廃し、僧侶を追放するという出来事がありました。
詳しい資料があまりないようで真言倒しをした理由が
ハッキリとしていません。

 

 

所説によると信長の延暦寺焼き討ちなどで追われた
僧侶が丹後国内に逃げ込み、寺院が匿い、
僧侶たちが信長、誅殺の加持祈祷を行いそれに
より本能寺の変が起ったという噂が広まったとか
激昂しやすい忠興の逆鱗に触れる何かがあったとか
イマイチはっきりとしませんが出来事があったのは
確かです。また、信長の頃にも、後の領主になる京極氏の
時代にも真言倒し同様の事がされていたようです。

 

 

真言倒しにより、また寺領の没収、火事などにより
衰退していった大伽藍を持つ寺院が沢山あるので
ここで書き出してみたいと思います。

 

 


(画像は禅定寺の仁王像)

 

 

成相寺(宮津市成相寺)※真言宗

戦国時代より度々戦火に巻き込まれてその都度再興されるが
江戸期にはかなり衰退してしまっていた。真言倒しによる
影響は判らない。

 

 

上山寺(丹後町上山)※真言宗

現在残るのは本堂の一部のみ。二十五坊まで構え
120石の寺領を有したが真言倒し以前に寺領を没収
されたことにより衰えていく。

 

 

善王寺(大宮町善王寺)

真言倒しにより廃寺。七堂伽藍を持つ巨大寺院だった。

 

 

尾坂寺(網野町尾坂)※真言宗

丹後国三十三所観音霊場の一二番札所。七堂伽藍を備えていた。
鉄砲屋敷という小字もあり戦国期には僧兵を抱えてたと
思われる。天正二年の大火に見舞われる。その後徐々に衰退。

 

 

笛原寺(峰山町五箇)※真言宗

七堂伽藍を持つ。末寺二院を残して廃寺、慶徳院はそのうちの
一つで、現在の苗原寺は顕光院が継承したもの。

 

 

大慈寺(網野町生野内)※真言宗

堂塔伽藍、僧坊が軒を並べ僧300人を宿泊可能な施設があった。
織田信長の真言宗寺院焼き打ち、細川忠興の真言宗僧侶の追放、
京極高広の真言宗寺院山伏の領外追放でトリプルの被害を被り
衰退していく

 

 

中央山仲禅寺(網野町仲禅寺)※真言宗

天正の頃時代に一院のみを残して伽藍が消滅する、
その一院は吉祥院ではないかと思います。仁王両尊像が残る。

 

 

禅城寺(峰山町小西)

天正年中、織田信長のために廃せられ、塔や民家も
ことごとく焼かれその後、禅定寺として再興される。

 

 

 

他にもたくさんあるようですが僕には解りません。
ご存知の方がいらしたら是非、お教えください。

 

 

 

 

 

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(京都銀行峰山支店前)
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Gamada Hidemasa

 

睡眠や寝具の事はプロの目線で、丹後の神社や
歴史の事はよく理解せず書き綴っております。
寝具製作技能士、上級睡眠健康指導士
羽毛診断士(ダウンプロフェッサー)等の
資格を持ってます。お気軽にご相談下さい。
お越しの際には連絡を頂けると幸いです。

 

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