カテゴリー「丹後の神社」の記事

鬼伝説と大名行列『美多良志荒神』

2015年6月23日 / 丹後の古墳・史跡, 丹後の神社, 神社・歴史

大江山の山中に仏性寺と居場所があります。鬼伝説と
密接な関わりのある場所です。二瀬川という美しい渓谷があります。
その川沿いに石畳の道があります。これは今のアスファルトの
舗装された道路ではなく昔の宮津街道にあたり、ココを宮津藩
京極家の大名が参勤交代に江戸へ向かった道になります。
ということはこの道を・・・

『大名と鬼が歩いていた!』

話によるとこの石畳は昔のままだとか
当時のものがそのまま残ってるなんていいですね~!

この道沿いに美多良志荒神があります。
荒々しい黒木鳥居です。

山肌には結構、ゴツゴツとした岩が目立ちます。
ココを暫く登って行くと

小さなお社があります。これは丹後の2番目の鬼伝説
麻呂子親王(聖徳太子の異母弟)が大江山へと鬼退治に
やってきます。 英胡、軽足、土熊という三匹の鬼に率いられた
鬼神たちは妖術を駆使し、麻呂子親王は攻めあぐねます。

すると・・・。額に鏡を付けた2匹の白犬が現れ、鏡で照らすと
鬼たちは姿を消すことが出来なくなってしまったそうだ。

神話でも絶体絶命のピンチにこういうお助けマンが
現れるパターンは結構有りますね。話はそれましたが
その鏡を祭ったのがこの神社と言われております。
闇を照らして光を与える神として信仰の厚いそうです。

少し離れたところにはこんなのがあります。
近くに源頼光が腰掛けた岩があるので酒天童子の
足跡とされてるんじゃないかと思います。

御祭神  白犬のご神鏡
京都府福知山市大江町仏性寺 ?  美多良志荒神

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何十年も住んでるのに知らない地元『八幡神社』

2015年6月10日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

八幡神社と言うのは日本全国あちゃこちゃにあります。京丹後市峰山町内ですら
確認しただけで4箇所あるんです。僕の個人的なイメージですが八幡神社は
応神天皇(誉田別命)が祀られる武運を祈願した神社です。
だから城跡などに多く建立されており登るのがしんどい・・・(;´∀`)そんなイメージが有ります。

僕が通ってた中学校の直ぐ側にも八幡神社があります。

この石段は恐怖の石段なんですよ。
クラブ活動でこの石段をうさぎ跳びをしたのですが
辛くとも登りは良いんです。

『普通、下りまでうさぎ跳びせんでしょ!((((;゚Д゚))))』?

石段は平らじゃなく微妙に沈んで下を向いてるから
余計に怖いんです。たまにしかしませんでしたがこの練習
一番嫌でした(><)今はうさぎ跳びなんてしないですよね。

見た感じはごく普通の神社なのですが辿ってきた歴史が面白いんですね。
かつて、この神社はもう少し高い位置にありました。(山から神社が下へ
降りてくる事はよくあります)その理由です。

恐らく、峯山藩の頃の話だと思います。ここは丹後三大賭場の一つで
素浪人の巣窟になっていました。それに困り、現在の場所へ神社を
降ろしてきた経緯があります。因みに他は網野町の川裾社、大江町の
河守神社だそうだ。

社殿の後ろに奥へと続く小道がありますがココをたどれば
恐らく、元宮のあった場所があると思います。 そしてこの場所は
八幡山古墳と言われ前方後円墳があります。これは鉄製品や勾玉を
作っていたであろう出土品が出ている扇谷遺跡(邪馬台国大研究様)の
すぐとなりになります。?

こういう話は地元の郷土史にお詳しい方じゃないと判らないような事です。
長年、この地に住んでいながら全然わからないんです(^^;もっともっとこういう事
知りたいですね。とても面白いですから!

 

御祭神 誉田別命

京都府京丹後市峰山町荒山七尾2   八幡神社

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『もう一つの浦島伝説』網野神社

2015年5月6日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

京丹後市には浦島伝説に因むと言われる神社があります。
浅茂川の浜の近くにある嶋児 神社、下岡にある六神社、
そしてここ網野神社。

水江浦嶋子(みずのえのうらしまこ) (網野町のうらしま太郎伝説)  

昔、銚子山古墳の地続きに日下部氏の屋敷がありました。
日下部曽却善次(くさかべそきゃくぜんじ)夫婦には子供がなく、
子宝に恵まれたいと百日祈願をしていました。満願の夜、夫婦は
不思議に同じ夢を見ました。  神から「二人の願いを聞き届けよう。
明朝、福島へ来い」とのお告げです。翌朝、出かけると赤子が
置かれており、夫婦は「嶋子(しまこ)」と名付け大切に育てました。  
釣り好きの若者に成長した嶋子は、澄の江での漁の時は釣った魚を
一旦磯の「釣溜(つんだめ)」にビクのまま漬けておいたといいます。  
ある日、嶋子は福島で大変美しい娘に出会いました。乙姫様でした。
二人は、夫婦の約束をし、小船で竜宮城へ行きました。手厚いもてなしを
受け三年の月日が経ちました。  嶋子は故郷が恋しくなり、帰ることになりました。
乙姫様が「お別れに手箱を差し上げます。再びお出でくださる気持ちが
あるなら、決して中をお開けなさいますな」と美しい玉くしげ(玉手箱)を
手渡しました。 嶋子は懐かしい万畳浜へ帰ってきました。ところが、屋敷に
着いてみると、雑草が茂って一面の荒野原に……。竜宮城での一年は、
人間界の何十年にもなっていたのです。嶋子は悲しみ、途方に暮れました。
その時、玉くしげのことを思い出し、これで数百年の昔に戻れるのではと箱の
蓋を開けました。すると中から白い煙が立ち上り、嶋子はしわだらけのおじいさんに。
驚いた嶋子は思わず自分の頬のしわをちぎって榎に投げつけました。その後、
嶋子がどうなったかはわかりません。(網野町資料から)

網野神社公式Webより抜粋

浦島神社に参拝した時にお聞きした話とはちょっと異なりますが
骨子は似ているかと思います。ここに日下部氏が出てきます。浦嶋太郎は
日下部氏なのでしょう。網野神社の森家は元々、日下部の姓を名乗っていたそうです。
その森家に伝わる系図によると日下部曽却善次は開化天皇の皇子、
開化天皇の皇子、日子坐王の末裔にあたると。日下部曽却善次のまたの名を
浦島太郎、その長男『嶋児』が龍宮城へ行った浦島太郎にあたるとか。
浦島太郎の名は世襲ってことになるんでしょうかね?

日下部氏と言うのはこの辺りに大きな勢力を持っていたであろうと思われる氏族です。
日下部氏は日子坐王の後裔にあたると言われています。この彦坐命を祀る神社は
この辺りに多いのです。僕の行った神社では但馬国一宮粟鹿神社、但馬国旧県社赤淵神社、?
但馬国宇都野神社、 丹後国旧府社竹野神社などがあります。?

日下部氏という氏族は一体どんな氏族なのでしょうね??

近くに住んでいながらあまり足の運んだことのない神社なのですが
改めて参拝してみるととても良い神社ですよね(^^)

紋は丸に三つ引きは足利将軍家と関わりの強い紋です。
戦国期に丹後国を治めていた一色氏は足利一門ですから
その関係なのでしょうか。

御祭神:日子坐王、住吉大神、浦嶋子神

京都府京丹後市網野町網野789  式内社(旧府社)網野神社

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