カテゴリー「丹後の神社」の記事

大宮町の集落、明田の意味は?『心木神社』

2014年7月11日 / 丹後の古墳・史跡, 丹後の神社, 神社・歴史

先日、小雨の中、1年ぶりに参拝をしてきました。
この神社の彫刻は惹かれるものがあり、この神社が
好きな理由なのです。

惚れ惚れしちゃいます?

この神社の面白いところをもう一つ。
両脇に抱える摂社が両方共、稲荷神社なのです。

主祭神は何故か不明だとか。元々の心木大明神は
近くにある寺(高原寺)に10センチくらいの金像があり
その裏面に心木大明神と書かれており心木神社のご本尊
なのでしょう。もろ神仏一体ですね。

ちなみに奥側にある稲荷神社は瘡守(かさもり)稲荷神社の
瘡は皮膚病や性病を表しているそうでそういった病に対して
ご利益のある神社だそうです。(全国的にあります)

よく拝見させていただいる丹後の地名様のサイト(物凄く詳しいです)
を見てると訪丹『丹後半島の旅』という澤潔さんが書かれた著書に
明田の事が書かれているとかいてありました。

偶然ですが安くで売りに出てるのを偶然見つけていつか
役に立つかもしれないと思い、買っていたのです。(^^)

早速、調べてみますと澤潔さんがおっしゃるには
明田の『明』はアゲを意味し、高い場所を意味し
『田』は田んぼの田。高い場所にある深くない良い田と
いう意味だそうです。

その続きに面白い記述があり・明田の小字に『入谷(にゅうだに)』
という所がありにゅうと言うのは丹生。水銀を意味します。ここで
水銀がとれたのです。

江戸時代この辺りが久美浜代官所の直轄領であり、年貢の3割を
水銀で治めていたとの記録が残っています。明田は水銀の生産地だった
可能性が高いということですね。

中郡誌稿には久住から別れて出来た集落で木積神社と同神と書かれています。
心木神社は木積神社系の神社になるのでしょうかね??

御祭神 不明(心木大明神)

京都府京丹後市大宮町明田小字奥地  心木神社

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須勢理毘売命に会えない天羽槌雄神『倭文神社』

2014年4月12日 / 丹後の神社, 神社・歴史

与謝野町三河内というところに丹後建国(分国)
よりも古い和銅三年(710年)創建の神社があります。

境内には古墳まであります。

狛犬がかなり立派で高さは1mくらいあります。
ちょっとした大型犬くらいですね。丹後では
結構大きい部類にはいるかと思います。

本殿、拝殿共にかなり立派です。流石、歴史と由緒の
ある神社ということを十分に醸し出しています。

この倭文神社に祀られている天羽槌雄神(あめのはづちのおの
かみ)は織物神です。天照大神を天の岩戸から誘い出すために、
文布(あや)を織ったとされる。文布は倭文布とも倭文とも
書きます、別名、倭文神そこから『倭文神社』と名前が付けら
れているのでしょう。丹後の絹織物へと繋がるのかもしれません。

川を挟んで須代神社と言うのがあります。ここに祀られている
のが須勢理毘売命。須勢理毘売命は須佐之男命の娘であり、
天羽槌雄神の妻でありました。ところが古事記にも出てくる
話ですが須勢理毘売命は大国主命の妻となります。天羽槌雄神
は離別してしまいます。倭文神社の祭礼は離別した須勢理毘売命を
恋しく思い、天羽槌雄神が須勢理毘売命が休憩されるとされる
松の木に向かって『お~い、お~い、お~い!』
と声を掛け呼び戻しに行く祭りのようです。

天羽槌雄神と須勢理毘売命が引き裂かれてしまった理由は
何なのでしょう?

同じ丹後でも京丹後市の竹野川流域と言うのは豊受大神の
祀られる神社が多いのですが山を超え与謝野町の野田川や
加悦に来ると大国主を始めとする出雲色が濃くなります。
(大虫神社は大国主命、小虫神社は少彦名命、須代神社は
須勢理毘売命など)

これも僕の勝手な妄想ですが出雲系の勢力と権力闘争で
あったり民族の融合があったのでは?ないかと。この
倭文神社の祭礼はその一片を物語る伝承なのかもしれませんね。

御祭神 天羽槌雄神 
京都府与謝郡与謝野町三河内1453  倭文神社

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祭りのあと『金刀比羅神社』

2014年4月10日 / 丹後の神社, 日々の話, 神社・歴史

昨日、金刀比羅神社では春季大祭が行われました。
境内には夜店がズラリとならび、僕たちは子供の頃から
この祭りをとても楽しみにしておりました(^^)

 

子供らを祭りに連れて行ってやろうと思っておりましたが
仕事の手が離せず、おじいちゃんに連れて行って貰う事に…。

 

 

でも、僕自身がどうしても参拝に行きたかったので
今朝ほど、子供を保育園に送り届けた後に行ってきました。

 

 

 

今日はもう後片付け。昨晩とはガラリと様子が違います。
金比羅神社は1811年に峯山藩7代藩主京極高備公が金刀比羅宮の
ある同族の京極家が治めていた丸亀藩、多度津藩の斡旋により
御分霊を勧請することができ建立された神社です。金毘羅権現は
日本一社の掟があり、掟を破っての特別の御分霊だそうです。

 

 

 

金毘羅権現と言うのは元々、インドのガンジス川に棲む鰐が
神格化したクンビーラという水神であるとされています。
ガンジス川の女神ガンガーがクンビーラに乗っていたことから
クンビーラは海上交通の守り神として信仰されてきました。

 

 

 

この金刀比羅神社にも漁師さんからの信仰が厚いのには
そう言った意味があるからだと思います。

 

 

 

神社の歴史としては浅いかもしれませんがこの地にこんなに
大きな神社が建てられたのには無意味なのではなく何か深い
意味があるような気がします。

 

 

長い階段を登ると立派な社殿があります。丹後内の神社で
ここまで大きい物はそう数はありません。金刀比羅神社の
境内図を見るとその規模の大きさがよく解ります。

 

 

そして、この裏手の細道を登って行くと愛宕神社があります。
その近辺からは石棺や土器、鏡、鋤、鍬、鉄器、珠…。
古墳が色々とある訳です。きっとココに金刀毘羅神社が
しつこいようですが建てられたのは何か意味があるような
気がします。妄想ですが(笑)

 

 

 

お賽銭の一円玉が水に浮いておりました(^^)

 

御祭神  大物主大神
京都府京丹後市峰山町泉1165-2   金刀比羅神社(旧府社)

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