カテゴリー「丹後の神社」の記事

『古社の初午』竹野神社

2015年3月24日 / 丹後の神社, 神社・歴史

神社が1番輝くのはお祭りじゃないでしょうか?
前々から行きたいと思っていながら行けず、
今年、初めて竹野神社の初午に行ってきました。

初午とは何かと言いますと

稲荷社の本社である伏見稲荷神社のご祭神・宇迦御霊神が伊奈利山へ降りた日が
和銅4年2月11日(711年3月4日。2月9日(3月2日)説もある)であったとされ、
この日が初午であったことから、全国で稲荷社を祀る。また、この日を蚕や牛・
馬の祭日とする風習もある[1]。江戸時代には、この日に子供が寺子屋へ入門した。
本来は旧暦2月の最初の午の日であるが、現在では新暦2月の最初の午の日とされている。
そのため、元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまった。
また今では2月最初の午の日とされるが、古来は、立春以降の最初の午の日に行われていた

Wikipedia『初午』より抜粋

竹野神社の祭神に稲荷神社なんてあったかな???と
思っておりましたらちゃーんと末社にありました(^^;
先程の写真の祈願はこの後行われる、竹馬レースの安全祈願です(^^)
毎年恒例になりつつあります。今年で3度目だったかな?

一方、うちの子供等は結構神社が好きなんです。全ての
お社に回ってお賽銭をします。これを持って


座敷わらしのわらちゃんの巾着袋。これは大層、不思議な不思議な袋。
ウッシッシです(*´艸`*)えびすやに置いてますのでご興味のある方は
お越しください(^^)子供たちはこの袋にお賽銭を入れてるんです。

さてさて、この竹野神社はとても古い神社です。
ココに祀られている竹野媛というのは諸説ありますが由碁理と言われています。
由碁理と言うのは丹波大縣主。つまり田庭の国の大国王で大きな力を
持っていました。竹野媛は第9代開化天皇に嫁ぎましたが晩年、この地に
やってきて天照大御神をお祀りしたのがこの神社の始まりとも、
大江山の鬼退治伝説の麻呂子親王が天照大御神をお祀りしたとも…。
近くには土蜘蛛(鬼)が封じ込められた立岩があります。

竹野神社のすぐ裏手には日本海三大古墳の1つ神明山古墳があります。
そういう事を考えると絶対に何かあります!あるはずですよね( ̄ー ̄)ニヤリ

御祭神 天照大御神 (斎宮:竹野媛命、 建豊波豆羅和氣命、日子坐王命)
京都府京丹後市丹後町宮宮ノ谷245????? ? 式内名神大社 竹野神社

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『神社とアームストロング砲』天橋立神社

2015年3月19日 / 丹後の神社, 神社・歴史

天橋立の中ほどに神社があるのをご存知でしょうか?

神社に興味を持つようになってこの神社の存在を知りました(^^;
きっと遠足などで横を何度も通ってるはずなのに…(笑)
この日、丹後へ来られた皆さんをKTR天橋立駅でお見送りをし
ぶらりと散策をしてみました。その時に近いのになかなか行く機会の
無い天橋立神社へ参拝に行かせていただきました。

すると…。
天橋立神社の前に( ゚д゚)ハッ!

『なんで、アームストロング砲が?』

謎です。ネットで検索してみると日露戦争で活躍した
装甲巡洋艦春日に搭載されていたものが海軍より寄贈されたそうです。
このアームストロング砲はバルチック艦隊とやりあったのでしょうかね?

社殿は千社札だらけです(^^;
御祭神の中の一柱に八大龍王が祀られています。
八大龍王は古代インドのナーガという半身半蛇の姿をした神様で
中国や日本を経て今の龍の形となったそうです。天橋立は
股のぞきをすると飛龍観と言われ龍が天に登る姿と言われ、
龍神伝説のある地。この事とも関連があるんでしょう。
八大龍王は龍神として、雨乞いの神として各地に祀られています。

鳥居には宮津藩主、本庄家の紋があります。

鳥居の上には石が乗ってます。よく縁起担ぎで鳥居の上に
石を載せることがあるようですが天橋立神社は恋愛成就の
パワースポットだそうだ。恋人が浜辺で拾った石を鳥居に
載せて恋愛成就を願うそうです。結構、今風の神社なのですね(^^;

御祭神 豊受大神、大川大明神、八大龍王

京都府宮津市字文殊  天橋立神社

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『元々の海部氏の拠点』矢田神社

2015年3月16日 / 丹後の神社, 神社・歴史

京丹後市久美浜町に海士と書いて”アマ”という地名があります。
そこにある矢田神社は丹後国一宮籠神社の宮司家海部氏の拠点
であったと言われています。

その拠点であった所に建つ神社が矢田神社。熊野郡誌には

 

『式内社にして其の創立最も古し、按ずるに海士の地は往古神服連海部直の居地にして、
館跡を六宮廻(ろくのま わり)という。海部直は丹後の国造但馬国造等の祖にして、
扶桑略記にも丹波国熊野郡川上庄海部里国府と為す。』

とあります。但馬~丹後~若狭を治める重要拠点だったのでしょう。
現在では海士から海までは距離がありあますが当時はここは入江の様な形で
海だった様です。交易、軍事の拠点としても重要な土地だったのかもしれません。

六宮廻という場所は現在、矢田神社がある宮ノ谷の隣接する場所だった
そうです。そこに海部直の居留地があったと言われています。

系譜で読み解く日本古代史様のWebが分かりやすいかと思いますのでご参考に

さて、鳥居をくぐり

参道を登って行くと境内があります。
ここはゲートボール場にもなってるようですね。

拝殿の彫り物を見ると”亀”が掘られています。
珍しいですね。何か意味の深さがあるのかと勘ぐってしまいます(^^;

丹後ではちょこちょこ見られる古い形の狛犬
宮津市の栗田にある住吉神社や和貴宮神社にも
同様の形をした狛犬があります。

拝殿脇にあるこの磐座、物凄く気になります。
脇に追いやられている感じがしますがどんな神様が
祀られているのでしょう?元々、祀られていた神様が
時代の変遷と共に脇に追いやられると言うことは
よくあることの様ですね。

御祭神 建田背命(饒速日命六世孫)武諸隅命(建田背命の子)

京都府京丹後市久美浜町海士   式内社 矢田神社

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『吸い込まれる鏡』高岡神社

2015年2月17日 / 丹後の神社, 神社・歴史

以前、この辺りの神社や古墳にとても詳しい方から
この神社の存在を伺っておりましたが偶然にも発見して
しまし、車の中で寝てる娘を起こさない様にソッと
車から降り、参拝してきました。



鳥居からまっすぐに延びる参道がいいですね!

手水舎を過ぎ、石段を登ると社殿があります。
こちらの神社には立派な灯籠はありますが
狛犬がありません。何か訳があるんでしょうか?

その気になるものが…

社殿に掲げられた鏡です。よく拝殿に掲げられてる
事がありますがこんなのは初めてです!しかも相当古い!
やはり自分の目で見てこないと凄さがわかりません。

じーっと見とれてしまいました。吸い込まれる様な感じです。
鏡は神様が宿られる依代としての神社にあるのですが
自分自身を写す鏡、内なる自分と向き合う為に鏡があるのだと
思います。神社は本来そういう場所なんじゃないかな?と
思ったりします。

さて、この高岡神社の御祭神がイマイチよく解りません。
室尾山観音寺神明帳という書物によると正三位高雄田大明神と
高雄田(タカオタ)が高岡(タカオカ)になったようですね。
この高雄田大明神。天津神と言われているようで京都府熊野郡誌に
書かれているようで『丹後の地名』様のWEBより抜粋します。

高岡神社 村社 下佐濃村大字永留小字藏谷鎮座 祭神=案するに天ツ神を奉祀するが如し。
由緒=当社の創立年代等に就ては徴証すべきものなく、正確なる由緒を記述する事困難なれど、
伝説等を考察するに当社は元高尾大明神と言へるは、古き幟等に記載せる文字によりても明に
して、現社地の奥山林に高尾谷あり、天つ神の降臨し給へる霊地なりといひ伝ふ。されば天津神を
奉祀し高尾大明神と言ひしを、後世高岡と改称せしものにて、鳥居前の小字を矛立といひ、
祭儀に際して矛を建てし地なりといふ。境内には目通り二丈余を有する椎の神木あり、
一見して其の古社たるを知る。明治四十一年本殿を再興し以て偉観を呈せり。延命寺は
当社の別当にして、山号を高尾山といふ、其の関係を物語れるなり。

氏子戸数=九十五戸。 境内神社。鷺神社。祭神=不詳。      
秋葉神社。祭神=加具土命。

以上

さて、天津神とはどの神様の事でしょうか?
隣の峰山町の久次岳は豊受大神が降臨したと言われる山です。
高尾山にもそういった伝承があるのか?矛と聞けば大国主命(八千矛神)を
思い出したのですが国津神ですから。さてさて祀られてるのはどんな神?

御祭神  高雄田大明神
京都府京丹後市久美浜町永留小字藏谷  高岡神社


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『赤ちゃんの初土俵入り』山王宮日吉神社

2015年1月24日 / 丹後の神社, 神社・歴史

毎年、体育の日になれば必ずテレビのニュースを賑わすのが
山王宮日吉神社の『初土俵入り』相撲とはスポーツではなく
神事です。初土俵は目に見えない神様と相撲を取る事だそうだ。

実際に取られているかどうかはわかりませんが丹後の神社でも
土俵をちょくちょく見かける事があります。

土俵に掲げられた案内板に書かれていたのですが初土俵の祭礼は
杉末神社の祭礼だそうで。この杉末神社というのは延喜式神名帳に
記載される式内社としては宮津市街地辺りでは唯一にな古社です。

今は山王宮日吉神社の摂社として小ぢんまりとお社が建っていますが
丹後州宮津府志によると敏達天皇元年(538年)に大和の三輪山より
与謝郡の杉末に降った。今は山王社の傍らに摂社としてあるが元は
杉末神社を祀っていた地だと書かれています。降ったというのは
恐らく、大物主命のことでしょうね。山王宮よりも杉末神社の方が
文献通りだとすれば古いことになります。

山王宮日吉神社は境内の真ん中に

拝殿は銅葺きですが本殿は茅葺きでとても立派です(^^)

拝殿の”武神”の文字お見事ですね!
この神社の主祭神は大己貴命。この神様は大国主命が
もっとも有名な名ですがたくさんの名前を持ちます。その1つに
八千矛命(ヤチホコノミコト)矛は武力の象徴であり武神として
の性格を表しています。

山王宮日吉神社と隣り合わせに如願寺があります。




素晴らしい本堂です。如願寺が鎮守として近江坂本の日吉大社から
山王権現を勧請したとする説があり、その後山王社の勢いが増し、
杉末神社が追いやられたとも…。山王権現は天台宗と神道が
結びついたものですが如願寺は真言宗なのはなぜでしょ?

その後、明治期の神仏分離により、山王社は日吉神社と名前を改め
仏教色は排されましたが山王社の名は今までずっと残っております。

御祭神 大山咋神、大己貴神
京都府宮津市宮町1376  宮津山王宮日吉神社

 

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創業明治十年 老舗寝具専門店
ふとんのえび
すや
京都府京丹後市峰山町呉服6
(京都銀行峰山支店前)
定休日:ほぼ無休(不定休)
営業時間:AM9:00~PM7:00

※ご遠方からのお越しの際には
ご連絡をいただけると幸いです。
不定休、諸都合等で休みの場合がございます。


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