カテゴリー「神社・歴史」の記事

須勢理毘売命に会えない天羽槌雄神『倭文神社』

2014年4月12日 / 丹後の神社, 神社・歴史

与謝野町三河内というところに丹後建国(分国)
よりも古い和銅三年(710年)創建の神社があります。

境内には古墳まであります。

狛犬がかなり立派で高さは1mくらいあります。
ちょっとした大型犬くらいですね。丹後では
結構大きい部類にはいるかと思います。

本殿、拝殿共にかなり立派です。流石、歴史と由緒の
ある神社ということを十分に醸し出しています。

この倭文神社に祀られている天羽槌雄神(あめのはづちのおの
かみ)は織物神です。天照大神を天の岩戸から誘い出すために、
文布(あや)を織ったとされる。文布は倭文布とも倭文とも
書きます、別名、倭文神そこから『倭文神社』と名前が付けら
れているのでしょう。丹後の絹織物へと繋がるのかもしれません。

川を挟んで須代神社と言うのがあります。ここに祀られている
のが須勢理毘売命。須勢理毘売命は須佐之男命の娘であり、
天羽槌雄神の妻でありました。ところが古事記にも出てくる
話ですが須勢理毘売命は大国主命の妻となります。天羽槌雄神
は離別してしまいます。倭文神社の祭礼は離別した須勢理毘売命を
恋しく思い、天羽槌雄神が須勢理毘売命が休憩されるとされる
松の木に向かって『お~い、お~い、お~い!』
と声を掛け呼び戻しに行く祭りのようです。

天羽槌雄神と須勢理毘売命が引き裂かれてしまった理由は
何なのでしょう?

同じ丹後でも京丹後市の竹野川流域と言うのは豊受大神の
祀られる神社が多いのですが山を超え与謝野町の野田川や
加悦に来ると大国主を始めとする出雲色が濃くなります。
(大虫神社は大国主命、小虫神社は少彦名命、須代神社は
須勢理毘売命など)

これも僕の勝手な妄想ですが出雲系の勢力と権力闘争で
あったり民族の融合があったのでは?ないかと。この
倭文神社の祭礼はその一片を物語る伝承なのかもしれませんね。

御祭神 天羽槌雄神 
京都府与謝郡与謝野町三河内1453  倭文神社

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祭りのあと『金刀比羅神社』

2014年4月10日 / 丹後の神社, 日々の話, 神社・歴史

昨日、金刀比羅神社では春季大祭が行われました。
境内には夜店がズラリとならび、僕たちは子供の頃から
この祭りをとても楽しみにしておりました(^^)

 

子供らを祭りに連れて行ってやろうと思っておりましたが
仕事の手が離せず、おじいちゃんに連れて行って貰う事に…。

 

 

でも、僕自身がどうしても参拝に行きたかったので
今朝ほど、子供を保育園に送り届けた後に行ってきました。

 

 

 

今日はもう後片付け。昨晩とはガラリと様子が違います。
金比羅神社は1811年に峯山藩7代藩主京極高備公が金刀比羅宮の
ある同族の京極家が治めていた丸亀藩、多度津藩の斡旋により
御分霊を勧請することができ建立された神社です。金毘羅権現は
日本一社の掟があり、掟を破っての特別の御分霊だそうです。

 

 

 

金毘羅権現と言うのは元々、インドのガンジス川に棲む鰐が
神格化したクンビーラという水神であるとされています。
ガンジス川の女神ガンガーがクンビーラに乗っていたことから
クンビーラは海上交通の守り神として信仰されてきました。

 

 

 

この金刀比羅神社にも漁師さんからの信仰が厚いのには
そう言った意味があるからだと思います。

 

 

 

神社の歴史としては浅いかもしれませんがこの地にこんなに
大きな神社が建てられたのには無意味なのではなく何か深い
意味があるような気がします。

 

 

長い階段を登ると立派な社殿があります。丹後内の神社で
ここまで大きい物はそう数はありません。金刀比羅神社の
境内図を見るとその規模の大きさがよく解ります。

 

 

そして、この裏手の細道を登って行くと愛宕神社があります。
その近辺からは石棺や土器、鏡、鋤、鍬、鉄器、珠…。
古墳が色々とある訳です。きっとココに金刀毘羅神社が
しつこいようですが建てられたのは何か意味があるような
気がします。妄想ですが(笑)

 

 

 

お賽銭の一円玉が水に浮いておりました(^^)

 

御祭神  大物主大神
京都府京丹後市峰山町泉1165-2   金刀比羅神社(旧府社)

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丹後屈指の磐座がある『神谷神社』

2014年4月6日 / 丹後の神社, 神社・歴史

この近くに用事がありますと必ずと言っていい程
この『神谷神社』に足を運びます。と言っても
本殿の方ではありません。道を挟んで摂社、八幡神社
の裏手にある磐座がお目当てです。

だからと言って本殿が大したことが無いかといえば
決してそんなことありません。本殿の神社彫刻は
必見です!これには目を見張る凄さがあります!
京都府指定の貴重な文化財でもあります。

崇神天皇十年九月、四道将軍・丹波道主命が
勅命を受けて山陰地方を巡視された時、 武運
長久を祈願して、久美浜の地に社地を定めて
出雲国・八千矛神・天神玉命・天種子命を
祀ったのが 当社の創祀。式内社・神谷神社に
比定されている古社。

もとは、神谷小字明神谷に祀られていたが
中世の頃、戦乱にため社屋が破壊されたので
現在地の太刀宮に合祀された。

玄松子の記憶様のHPより一部抜粋させて頂きました。

といういう事はこの場所では磐座の方が先に祀られ
ていたのではないかと思います。

八幡神社の脇から細い石段を登って行くと
どんつきには小さな祠があります(どんな
神様が祀られているかはわかりませんが)

更にそこを右に折れると

磐が真っ二つに割れておりその間を通る事が
出来、ぐるりと一周することが出来ます。
僕はココを通る時が一番、ゾクゾクっときます。
そして、規模も丹後で屈指の磐座ではないかと
思います。

ココは古代祭祀場であり、近年まで女人禁制の地でした。
修験場の様に女性が立入ることの許されない信仰が
あったのでしょうか?

僕の周りでは女性がココへ行くと写真のシャッターが
切ることが出来なかったり、うちの娘が固まって動けなく
なったりするなど不思議な話を聞くことがあります。

御祭神 丹波道主命

京都府京丹後市久美浜町久美浜小谷   神谷神社

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歴史の事はよく理解せず書き綴っております。
寝具製作技能士、上級睡眠健康指導士
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