須勢理毘売命に会えない天羽槌雄神『倭文神社』
与謝野町三河内というところに丹後建国(分国)
よりも古い和銅三年(710年)創建の神社があります。
境内には古墳まであります。
狛犬がかなり立派で高さは1mくらいあります。
ちょっとした大型犬くらいですね。丹後では
結構大きい部類にはいるかと思います。
本殿、拝殿共にかなり立派です。流石、歴史と由緒の
ある神社ということを十分に醸し出しています。
この倭文神社に祀られている天羽槌雄神(あめのはづちのおの
かみ)は織物神です。天照大神を天の岩戸から誘い出すために、
文布(あや)を織ったとされる。文布は倭文布とも倭文とも
書きます、別名、倭文神そこから『倭文神社』と名前が付けら
れているのでしょう。丹後の絹織物へと繋がるのかもしれません。
川を挟んで須代神社と言うのがあります。ここに祀られている
のが須勢理毘売命。須勢理毘売命は須佐之男命の娘であり、
天羽槌雄神の妻でありました。ところが古事記にも出てくる
話ですが須勢理毘売命は大国主命の妻となります。天羽槌雄神
は離別してしまいます。倭文神社の祭礼は離別した須勢理毘売命を
恋しく思い、天羽槌雄神が須勢理毘売命が休憩されるとされる
松の木に向かって『お~い、お~い、お~い!』
と声を掛け呼び戻しに行く祭りのようです。
天羽槌雄神と須勢理毘売命が引き裂かれてしまった理由は
何なのでしょう?
同じ丹後でも京丹後市の竹野川流域と言うのは豊受大神の
祀られる神社が多いのですが山を超え与謝野町の野田川や
加悦に来ると大国主を始めとする出雲色が濃くなります。
(大虫神社は大国主命、小虫神社は少彦名命、須代神社は
須勢理毘売命など)
これも僕の勝手な妄想ですが出雲系の勢力と権力闘争で
あったり民族の融合があったのでは?ないかと。この
倭文神社の祭礼はその一片を物語る伝承なのかもしれませんね。
御祭神 天羽槌雄神
京都府与謝郡与謝野町三河内1453 倭文神社
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