カテゴリー「丹後の神社」の記事

下岡の海に浮かぶ小島『市杵嶋姫神社』

2014年8月6日 / 丹後の神社, 神社・歴史

網野町の新庄川沿いにある下岡から浅茂川にかけて
雨が降るとすぐ水が浸かってしまいます。

よく水が浸かる訳は元々この辺りは海だったそうです。
その地の利を活かして建てられた下岡城というのは中世丹後の
典型的な山城で大変、強固な城だったと聞きます。細川興元に
落とされるまでは一色氏家臣高屋駿河守の居城でした。

その一面海だった下岡にポツンと浮かぶ小島があったそうです。
そこには弁天さんが祀らいるそうで、今でもまだあるとの
話を聞いたので探しに行ってきました。

下岡は起伏が無くまっ平らな土地なのですが高天山の方を
見ながら車を走らせていると!

??

実に怪しいですね!こういうのは何かあるんですよ!

一面田んぼの中にこんなのがあったりするとそこには
祠や神社があることが多いですね。

小山に近づいてみると…
怪しい小道がありますね!

やーっぱりありましたね( ̄ー ̄)ニヤリ
恐らく、ここが弁天さんが祀られていた海に浮かぶ小島だった
のではないかと思います。

弁天さんは別名 市寸島姫命(イチキシマノヒメノミコト)
古事記内では天照大御神と建速須佐之男命との間の誓約に
よって建速須佐之男命の剣から生まれた女神です。(この時
女神が三柱生まれており、宗像三女神と言われてます)

この宗像三女神は海上交通の神様です。城があり浅茂川の
海との間で船の往来は合ったことを考えるとこの小島に
市杵島姫命が祀られていた事も分かりますし、古代北九州の
海人族が祀った海の神です。古代丹後の海人族と同じ血を
引いてる人たちが祀っているんです。

御祭神  市杵嶋姫

京都府京丹後市網野町下岡小字野島  市杵嶋姫神社

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細川幽斎・忠興父子が居た場所『猪岡八幡宮』

2014年8月1日 / 丹後の神社, 神社・歴史

宮津の宮村にちょっと目立った鳥居のある神社があります。

一の鳥居と二の鳥居が連続しています。額なんかとても立派です。
八幡神社だと僕は行くのを躊躇してしまいます。この神社の存在は
勿論知っていたのですが足が中々、向かなかった理由があります。

八幡神社に祀られているのは応神天皇。戦の神様です。
結構、山城に有ることが多く登るのが結構キツイのです(笑)
胃を決して猪岡八幡宮と猪岡八幡山城に登ってみようと
階段を登り始めました。

いつになったら神社につくんですか?(;´Д`)

やっと着きました(^^;夏の神社は虫除けスプレが-
必須ですね!蚊が多いです。

この勢いで八幡山城を目指しましたが…。

コレを見て戦意喪失(><)

城跡を目指すのは諦めました(^^;
体力の無さを否応なしに実感してしまいます。

猪岡八幡宮は吉田兼好の徒然草に出てくる
石清水八幡宮を1016年に勧請しているそうだ。

ココは猪岡八幡山城です。一体誰が居たのか?
元々は一色五郎(義清)の居城だと言われており
丹後国内でも屈指の山城でした。

その後、織田信長の命により丹後侵攻がはじまり
ましたが一色家の抵抗は激しく、細川家と一色家の
丹後の分国統治が始まりました。その時天正8年に
天正8年、細川幽斎・忠興父子が入城します。
その後、宮津城が完成すると廃城になります。

八幡山城は古い宮津を統治する拠点であり
新たな宮津を統治する拠点となる宮津城が出来るまでの
仮の拠点となったわけです。宮津の次代の境目となる
お城ですね。宮津城築城後は廃城となります。

御祭神 応神天皇,神功皇后、玉依姫命

京都府宮津市字宮村小字八幡98   猪岡八幡宮

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結婚→離縁→結婚。複雑な縁。『須代神社』

2014年7月24日 / 丹後の神社, 神社・歴史

前にも紹介したのですが与謝野町の野田川を境に
南北に分けると様子が違います。僕が教わったのは
野田川を境にして物部氏と蘇我氏が睨み合いをしていたそうだ。

そして、南側には出雲系の痕跡も多かったりします。
大己貴命(大国主)は大虫神社に大己貴命ろ一緒に
国づくりをした少彦名命は小虫神社に祀られています。
そして、こんな伝承があります。Wikipedia(小虫神社より下記を抜粋)

かつては温江字虫本の大虫神社とともに大江山中腹の池ケ成(いけがなる)と
いう地に鎮座し、「虫宮(むしのみや)」と呼ばれていた。往昔大虫神社の
祭神である大国主命が沼河姫と当地に居住している時、槌鬼(つちおに)という
悪鬼の毒気に当てられた姫が病気に罹り、それを嘆く大国主命のために少名彦命が
八色の息を吐きかけて槌鬼を追い出し姫を回復させたが、今度はその息のために人や
動植物が虫病に苦しむようになったため、少名彦命は「小虫」と名乗ってそれぞれの
体内から害源である悪虫を除くことを、大国主命は「大虫」を名乗って体外から病を
治すことを誓い合い、鏡を2面作ってそれぞれ分け持ったことから、「大虫」「小虫」の
神として崇められるようになったといい

丹後にはこんな伝承が残っております。そして少彦名命は与謝郡の
国造りの神、守護神とも言われております。

沼河姫命と言えば高志の国(今の新潟~福井県にあった国)の
お姫様で3番目の妻になります。出雲国に住んだのではなく何故
丹後に住んでいたのでしょうかね?

ここからがタイトルの須代神社のお話になります。

須代(すしろ)神社の主祭神は須世理姫命です。須佐之男命の娘で
大恋愛をして須佐之男命の元から駆け落ちするかの様に結ばれた神と
して古事記には書かれておりますが…。

ここ与謝野町に残る伝承では話は変わってきます。野田川を挟み
北側には倭文(しどり)神社と言う丹後でもとても古い神社があります。

丹後らしく織物の神である天羽槌雄神(あめのはづちのみこと)が
祀られています。元々は須世理姫の夫でありました。どのような理由が
合ったのかは解りませんが離別することになり、その後、大己貴命(大国主)の
妻となるのです。延喜式神社の調査様のWebに解りやすく伝承が書かれて
いますのでご紹介します。

倭文神社の祭神「天羽槌雄神」は、川、田をへだてた向こう村の
須代神社の祭神「須勢理媛」と夫婦でありましたが、大国主命の
正妃となり、離別してしまいました。 本祭礼の途中、傘鉾が奥山川に
さしかかったとき、山屋台、子供屋台とも囃子を止め、「須勢理媛」が
休憩をさている松の木に向かって「おーい、おーい、おーい」と
三度呼ぶと須勢理媛は天羽槌雄神とともに祭礼に参加をされます。
「おーい」は、大きな力で引き裂かれた、天羽槌雄神の妻を呼び戻す
声かもしれません。 近年、倭文神社の祭礼が4月25日から5月4日に
変更になり、須代神社の祭礼の日も他の日にかわってしまいましたが、
「おーい」の儀式は今も守り続けられています。 梅ヶ谷の代表町主に
よって、「お~い、お~い、お~い」と3回発声されます。

この様子だと仲が悪く離縁したわけではなく泣く泣く間を引き裂かれた
ということになりますね。

大己貴命(大国主)と高志の国の姫、沼河姫は一緒に大江山の中腹、池ヶ成に
暮らしていたと言われてますがこの近くに須世理姫との居を構えていたのかも
しれませんね。縁結びの神の所以でしょうね(^^;

この辺りには出雲系の神様に関わる話が多いのです。外にも国造りの神、農業神、
商業神、医療神…。いろんな顔があります。さて、丹後ではどんな顔を持つ神と
して信仰されているのでしょうかね?

主祭神 須世理姫命

京都府与謝郡与謝野町明石599   式内社 須代神社

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Gamada Hidemasa

 

睡眠や寝具の事はプロの目線で、丹後の神社や
歴史の事はよく理解せず書き綴っております。
寝具製作技能士、上級睡眠健康指導士
羽毛診断士(ダウンプロフェッサー)等の
資格を持ってます。お気軽にご相談下さい。
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