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結婚→離縁→結婚。複雑な縁。『須代神社』

2014年7月24日 / 丹後の神社, 神社・歴史

前にも紹介したのですが与謝野町の野田川を境に
南北に分けると様子が違います。僕が教わったのは
野田川を境にして物部氏と蘇我氏が睨み合いをしていたそうだ。

そして、南側には出雲系の痕跡も多かったりします。
大己貴命(大国主)は大虫神社に大己貴命ろ一緒に
国づくりをした少彦名命は小虫神社に祀られています。
そして、こんな伝承があります。Wikipedia(小虫神社より下記を抜粋)

かつては温江字虫本の大虫神社とともに大江山中腹の池ケ成(いけがなる)と
いう地に鎮座し、「虫宮(むしのみや)」と呼ばれていた。往昔大虫神社の
祭神である大国主命が沼河姫と当地に居住している時、槌鬼(つちおに)という
悪鬼の毒気に当てられた姫が病気に罹り、それを嘆く大国主命のために少名彦命が
八色の息を吐きかけて槌鬼を追い出し姫を回復させたが、今度はその息のために人や
動植物が虫病に苦しむようになったため、少名彦命は「小虫」と名乗ってそれぞれの
体内から害源である悪虫を除くことを、大国主命は「大虫」を名乗って体外から病を
治すことを誓い合い、鏡を2面作ってそれぞれ分け持ったことから、「大虫」「小虫」の
神として崇められるようになったといい

丹後にはこんな伝承が残っております。そして少彦名命は与謝郡の
国造りの神、守護神とも言われております。

沼河姫命と言えば高志の国(今の新潟~福井県にあった国)の
お姫様で3番目の妻になります。出雲国に住んだのではなく何故
丹後に住んでいたのでしょうかね?

ここからがタイトルの須代神社のお話になります。

須代(すしろ)神社の主祭神は須世理姫命です。須佐之男命の娘で
大恋愛をして須佐之男命の元から駆け落ちするかの様に結ばれた神と
して古事記には書かれておりますが…。

ここ与謝野町に残る伝承では話は変わってきます。野田川を挟み
北側には倭文(しどり)神社と言う丹後でもとても古い神社があります。

丹後らしく織物の神である天羽槌雄神(あめのはづちのみこと)が
祀られています。元々は須世理姫の夫でありました。どのような理由が
合ったのかは解りませんが離別することになり、その後、大己貴命(大国主)の
妻となるのです。延喜式神社の調査様のWebに解りやすく伝承が書かれて
いますのでご紹介します。

倭文神社の祭神「天羽槌雄神」は、川、田をへだてた向こう村の
須代神社の祭神「須勢理媛」と夫婦でありましたが、大国主命の
正妃となり、離別してしまいました。 本祭礼の途中、傘鉾が奥山川に
さしかかったとき、山屋台、子供屋台とも囃子を止め、「須勢理媛」が
休憩をさている松の木に向かって「おーい、おーい、おーい」と
三度呼ぶと須勢理媛は天羽槌雄神とともに祭礼に参加をされます。
「おーい」は、大きな力で引き裂かれた、天羽槌雄神の妻を呼び戻す
声かもしれません。 近年、倭文神社の祭礼が4月25日から5月4日に
変更になり、須代神社の祭礼の日も他の日にかわってしまいましたが、
「おーい」の儀式は今も守り続けられています。 梅ヶ谷の代表町主に
よって、「お~い、お~い、お~い」と3回発声されます。

この様子だと仲が悪く離縁したわけではなく泣く泣く間を引き裂かれた
ということになりますね。

大己貴命(大国主)と高志の国の姫、沼河姫は一緒に大江山の中腹、池ヶ成に
暮らしていたと言われてますがこの近くに須世理姫との居を構えていたのかも
しれませんね。縁結びの神の所以でしょうね(^^;

この辺りには出雲系の神様に関わる話が多いのです。外にも国造りの神、農業神、
商業神、医療神…。いろんな顔があります。さて、丹後ではどんな顔を持つ神と
して信仰されているのでしょうかね?

主祭神 須世理姫命

京都府与謝郡与謝野町明石599   式内社 須代神社

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