丹後には巨大寺院が沢山あった
1593年、細川忠興が丹後国にある真言宗系の四十八ヶ寺を
廃し、僧侶を追放するという出来事がありました。
詳しい資料があまりないようで真言倒しをした理由が
ハッキリとしていません。
所説によると信長の延暦寺焼き討ちなどで追われた
僧侶が丹後国内に逃げ込み、寺院が匿い、
僧侶たちが信長、誅殺の加持祈祷を行いそれに
より本能寺の変が起ったという噂が広まったとか
激昂しやすい忠興の逆鱗に触れる何かがあったとか
イマイチはっきりとしませんが出来事があったのは
確かです。また、信長の頃にも、後の領主になる京極氏の
時代にも真言倒し同様の事がされていたようです。
真言倒しにより、また寺領の没収、火事などにより
衰退していった大伽藍を持つ寺院が沢山あるので
ここで書き出してみたいと思います。
(画像は禅定寺の仁王像)
成相寺(宮津市成相寺)※真言宗
戦国時代より度々戦火に巻き込まれてその都度再興されるが
江戸期にはかなり衰退してしまっていた。真言倒しによる
影響は判らない。
上山寺(丹後町上山)※真言宗
現在残るのは本堂の一部のみ。二十五坊まで構え
120石の寺領を有したが真言倒し以前に寺領を没収
されたことにより衰えていく。
善王寺(大宮町善王寺)
真言倒しにより廃寺。七堂伽藍を持つ巨大寺院だった。
尾坂寺(網野町尾坂)※真言宗
丹後国三十三所観音霊場の一二番札所。七堂伽藍を備えていた。
鉄砲屋敷という小字もあり戦国期には僧兵を抱えてたと
思われる。天正二年の大火に見舞われる。その後徐々に衰退。
笛原寺(峰山町五箇)※真言宗
七堂伽藍を持つ。末寺二院を残して廃寺、慶徳院はそのうちの
一つで、現在の苗原寺は顕光院が継承したもの。
大慈寺(網野町生野内)※真言宗
堂塔伽藍、僧坊が軒を並べ僧300人を宿泊可能な施設があった。
織田信長の真言宗寺院焼き打ち、細川忠興の真言宗僧侶の追放、
京極高広の真言宗寺院山伏の領外追放でトリプルの被害を被り
衰退していく
中央山仲禅寺(網野町仲禅寺)※真言宗
天正の頃時代に一院のみを残して伽藍が消滅する、
その一院は吉祥院ではないかと思います。仁王両尊像が残る。
禅城寺(峰山町小西)
天正年中、織田信長のために廃せられ、塔や民家も
ことごとく焼かれその後、禅定寺として再興される。
他にもたくさんあるようですが僕には解りません。
ご存知の方がいらしたら是非、お教えください。
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