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丹後と若狭の繋がり『若狭彦神社』

2014年7月18日 / 神社・歴史, 若狭の神社

丹後の古代の話もとてもDEEPで面白いのですが戦国期の話も
なかなか面白かったりするものです。

元々、丹後・但馬・丹波・若狭は一つの国といいますか丹波国の
影響が大きく及んでいた地域でした。それを治めていたのは誰だったのか?
それが宮津市の籠神社社家の海部氏のであると言われています。

丹後と若狭は同じ一つの国だったのです。
ですから、若狭国一宮(一宮の上宮とも言われています)の
若狭彦神社の祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと )で
古代神話に出てくる山幸彦・海幸彦の山幸彦になります。
籠神社の祭神、彦火明命と同一神です。

僕は若狭のことをよく知りませんが同じ丹波の国であったことを
思うととても興味深くなります。若狭彦神社は寂しいことに神職の方が
いらっしゃらず(下宮の若狭姫神社が管轄?)寂しいのですが中世には
広大な社領を有し、若狭彦神社別当寺神宮寺からも想像すると
物凄い神社だったんだろうな?と想像したりします。

狛犬は中々の鳩胸っぷりでございます。

この参道の両脇に立つ2本の大きな杉のご神木は
若狭彦神社の二の鳥居だそうです。ご神木が鳥居の
代わりを果たしているなんて珍しいですね。

名水だそうでしっかり頂いてきました。

戦国期になると若狭と丹後は入り乱れます。
元々、若狭国と丹後国の守護は一色氏でしたが
勢力を拡大する一色氏を警戒した足利義教の命に
よって一色義貫は武田信栄に誅殺されてしまいました。

この手柄によって若狭武田氏が若狭国の守護と
なったのですが、これが一色vs武田の激しい抗争が
始まりますがお互いが纏まっての抗争ではなく
内部対立も複雑に絡み合い、一色氏、武田氏共に
弱体化してしまいます。

僕のご先祖様も一色氏家老家vs丹後国守護代家の
抗争で破れてしまい、落ち延びた一族だそうです。。。

御祭神 若狭彦大神(彦火火出見尊)

福井県小浜市龍前28-7  若狭國一宮 旧國弊中社 若狭彦神社

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須勢理毘売命に会えない天羽槌雄神『倭文神社』

2014年4月12日 / 丹後の神社, 神社・歴史

与謝野町三河内というところに丹後建国(分国)
よりも古い和銅三年(710年)創建の神社があります。

境内には古墳まであります。

狛犬がかなり立派で高さは1mくらいあります。
ちょっとした大型犬くらいですね。丹後では
結構大きい部類にはいるかと思います。

本殿、拝殿共にかなり立派です。流石、歴史と由緒の
ある神社ということを十分に醸し出しています。

この倭文神社に祀られている天羽槌雄神(あめのはづちのおの
かみ)は織物神です。天照大神を天の岩戸から誘い出すために、
文布(あや)を織ったとされる。文布は倭文布とも倭文とも
書きます、別名、倭文神そこから『倭文神社』と名前が付けら
れているのでしょう。丹後の絹織物へと繋がるのかもしれません。

川を挟んで須代神社と言うのがあります。ここに祀られている
のが須勢理毘売命。須勢理毘売命は須佐之男命の娘であり、
天羽槌雄神の妻でありました。ところが古事記にも出てくる
話ですが須勢理毘売命は大国主命の妻となります。天羽槌雄神
は離別してしまいます。倭文神社の祭礼は離別した須勢理毘売命を
恋しく思い、天羽槌雄神が須勢理毘売命が休憩されるとされる
松の木に向かって『お~い、お~い、お~い!』
と声を掛け呼び戻しに行く祭りのようです。

天羽槌雄神と須勢理毘売命が引き裂かれてしまった理由は
何なのでしょう?

同じ丹後でも京丹後市の竹野川流域と言うのは豊受大神の
祀られる神社が多いのですが山を超え与謝野町の野田川や
加悦に来ると大国主を始めとする出雲色が濃くなります。
(大虫神社は大国主命、小虫神社は少彦名命、須代神社は
須勢理毘売命など)

これも僕の勝手な妄想ですが出雲系の勢力と権力闘争で
あったり民族の融合があったのでは?ないかと。この
倭文神社の祭礼はその一片を物語る伝承なのかもしれませんね。

御祭神 天羽槌雄神 
京都府与謝郡与謝野町三河内1453  倭文神社

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祭りのあと『金刀比羅神社』

2014年4月10日 / 丹後の神社, 日々の話, 神社・歴史

昨日、金刀比羅神社では春季大祭が行われました。
境内には夜店がズラリとならび、僕たちは子供の頃から
この祭りをとても楽しみにしておりました(^^)

 

子供らを祭りに連れて行ってやろうと思っておりましたが
仕事の手が離せず、おじいちゃんに連れて行って貰う事に…。

 

 

でも、僕自身がどうしても参拝に行きたかったので
今朝ほど、子供を保育園に送り届けた後に行ってきました。

 

 

 

今日はもう後片付け。昨晩とはガラリと様子が違います。
金比羅神社は1811年に峯山藩7代藩主京極高備公が金刀比羅宮の
ある同族の京極家が治めていた丸亀藩、多度津藩の斡旋により
御分霊を勧請することができ建立された神社です。金毘羅権現は
日本一社の掟があり、掟を破っての特別の御分霊だそうです。

 

 

 

金毘羅権現と言うのは元々、インドのガンジス川に棲む鰐が
神格化したクンビーラという水神であるとされています。
ガンジス川の女神ガンガーがクンビーラに乗っていたことから
クンビーラは海上交通の守り神として信仰されてきました。

 

 

 

この金刀比羅神社にも漁師さんからの信仰が厚いのには
そう言った意味があるからだと思います。

 

 

 

神社の歴史としては浅いかもしれませんがこの地にこんなに
大きな神社が建てられたのには無意味なのではなく何か深い
意味があるような気がします。

 

 

長い階段を登ると立派な社殿があります。丹後内の神社で
ここまで大きい物はそう数はありません。金刀比羅神社の
境内図を見るとその規模の大きさがよく解ります。

 

 

そして、この裏手の細道を登って行くと愛宕神社があります。
その近辺からは石棺や土器、鏡、鋤、鍬、鉄器、珠…。
古墳が色々とある訳です。きっとココに金刀毘羅神社が
しつこいようですが建てられたのは何か意味があるような
気がします。妄想ですが(笑)

 

 

 

お賽銭の一円玉が水に浮いておりました(^^)

 

御祭神  大物主大神
京都府京丹後市峰山町泉1165-2   金刀比羅神社(旧府社)

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