信長は神仏をも恐れぬ男だったのか?『溝谷神社』

2014年1月28日 / 丹後の神社, 神社・歴史

近くで仕事がありましたのでその帰りにちょっと
よってみました。かなり古く由緒ある神社です。

由緒は丹波道主命(丹波国を収めていた四道将軍の一人)が
創祀したのが始まりと言われています。きっと丹後の歴史を
語る上でも重要な歴史を帯びている神社では?と思います。

ちょっと面白いのがこの神社と織田信長に縁があるのです。

天正年間(1573~92)、織田信長は当社の信仰厚く、先例に
習って社殿を改築し「新羅大明神」の神号を書し額に鋳造して
奉納している。

と記録が残っていることです。学校の歴史の授業で
1571年に比叡山の延暦寺を焼き払ったと教えてもらいました。
山を丸ごと焼き払い女子供も容赦なく3000~4000人もの
犠牲者が出たと。。

ところが一方で溝谷神社の社殿を改築し、額を奉納しています。
そういう事をしたのはきっとこの神社だけの事では
ないでしょう。歴史の授業で持った信長のイメージは

”神をも恐れぬ狂ったとんでものない男”

とは違った一面の痕跡がこの溝谷神社にはあります。

信長が延暦寺を攻撃をしたのは確かな事実ですがそれには
ちゃんとした訳があったのでしょう。敵対していた朝倉・
浅井連合軍に加担していた事も要因の一つでしょう。

当時、宗教家としても堕落していて、経済を牛耳り、
僧は槍や鉄砲を持って戦争に傭兵として加担していました。
(延暦寺には4000人の僧兵がいたそうです)その軍事力を
背景に政治にも影響力を持っていたでしょう。詳しく調べて
見るとこの時代に実際に焼き払われた建物というのは
しれていたそうで殆どが年代が合わなかったそうで、
比叡山焼き討ちは誇張されていたのかもしれません。

詳しい歴史背景を僕は理解していませんが織田信長が
天下統一を果たすに辺り、また統一をしたあとにおいても
そのまま放って置いたら禍根を残したでしょう。
日本で初めて政治・経済と宗教を分離させたのが
信長かもしれませんね。

帰り際にふと見つけた磐座?
こういう所にお祭りされている神様がとても重要な
意味を持っていたりするんじゃないかと

御祭神 素盞鳴尊、天照大御神、宇迦之御魂神

京都府京丹後市弥栄町溝谷46-2 式内社 溝谷神社


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