丹後屈指の古社!『竹野神社』
2014年3月8日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史
雪がちらつく中、仕事の合間に参拝してきました。
初詣依頼今年2回目の参拝になります。
この竹野神社は丹後の中でも屈指の古社です。
この木々がかぶさるように参道を覆います。
ココが一番、竹野神社で好きな場所で趣も感じます(^^)
丹後でよく見かけるタイプの狛犬です。
出雲丹後の『構え獅子』と呼ばれる形ですね。
丹後半島の竹野川流域の神社では豊受大神が主祭神
として祀られることが多いのですがココ竹野神社は
天照大御神です。天照大御神が祀られている理由は
開化天皇の后だった竹野媛(大県主由碁理の娘)が
晩年、天照大御神を祀ったのが始まりと言い伝え
られています。(鬼退治伝説の麻呂子親王とも)
面白いサイトがありましたのでリンクさせて頂きました。
勘注系図より建諸隅命(たけもろずみのみこと)
以下リンク先より一部抜粋させて頂きますと
『勘注系図』はこの竹野媛の父親である由碁理を
建諸隅命とするのである。 開化の妃になった竹野姫が、
丹波の大縣主由碁理の娘であるということは、『古事記』が
伝えるところである。 だとすれば丹波の支配者の系譜に、
由碁理が登場したとしても不思議はない。またこの
建諸隅命は開化に仕えたとするから、開化時代の人である。
『勘注系図』の注記は開化の時代に、丹波国の丹波郡
(たんばのこおり)と余社郡(よさのこおり)を割いて、
竹野姫の屯倉(みやけ)を置い たとする。そして建諸隅命は
開化に仕えたとする。 建諸隅のまたの名を竹野別といい、
後に竹野が郡(こおり)の名前になったとする。和名抄に
記載される竹野郡(たかのこおり)は、現在の京丹後市
網野町、弥栄町、丹後町あたりでその中心は丹後町とされる。
ここは由碁理が国府を置いたと言う伝承を持つ。 開化の
妃に成った竹野媛(竹野姫)というその名前は、竹野別
(たけのわけ)という父親の名に由来するものである。
この竹野姫のもとの名は天豊姫である。建諸隅命
(たけもろずみのみこと)の又の名は由碁理(ゆごり)である。『古事記』第九代、開化天皇記より 若倭根子日子大毘毘命
坐春日之伊邪河宮 治天下也 此天皇 娶旦波之大縣主
名由碁理之女 竹野比賣
勘注系図と古事記に記載される事を元にすると開化天皇の妃
だった竹野媛の父は丹波大県主由碁理であり、丹波大県主由碁理は
建諸隅命である。建諸隅命は開化天皇に使えていた。竹野媛の
元々の名は天豊姫であり、そして天豊姫はまた”台与”であると
いう説もあります。
この時代、丹波は相当な力を持っていたはずです。しかし、
歴史舞台から消されてしまったかのように残念なことに
丹後の繁栄は語られる事がありませんよね…。
ちゃんと勉強していないと調べても理解しきれず難しいですね(><)
そうそう!竹野神社にて3月23日に行われる初午祭があります。
面白いイベントもあるようですので皆さんも是非、行ってみて下さい(^^)
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御祭神 天照大御神 (斎宮:竹野媛命、 建豊波豆羅和氣命、日子坐王命)
京都府京丹後市丹後町宮宮ノ谷245 竹野神社