一色氏終焉の地『一色稲荷神社』
2014年9月5日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史
今日は宮津に仕事がありましたのでその帰りに
参拝してきました。
一色氏は南北朝時代(1392年)に補任された一色光範を初代とし
最後の当主一色義清(一色有義)がここで自刃し1582年に、
室町幕府の四職の一角である名家がここで消えることになります。
一色義清の甥にあたると言われる一色義有は剛勇に優れ細川藤孝(幽斎)の
丹後侵攻を弓木城で徹底抗戦をしたました。その後、和議が成立し、一色、細川の
分割統治が始まり、細川家の姫が一色家に嫁ぎ姻戚関係が結ばれ暫くの間は
平穏な時期が続きましたが、山崎の合戦で一色家は明智光秀側についたことが
原因になり一色義有は宮津城にて謀殺されてしまいました。
吉原山城城主の叔父に当たる一色義清が家督を継ぎ、再興するが直ぐに
細川家の追討軍により、攻め滅ぼされてしまいました。その最後の地がここに
当たるそうです。
謀略によって滅んでしまった一色家の怨霊を恐れて鎮魂の意として
この社が建立されたのでしょう。
いつ行っても境内は綺麗にされており、大切にされているのがよく解ります。
プレミアムモルツの500ml缶がお供えされていました(^^)
そして、いつも不思議に思うのですがお社の扉が何故か開いております。
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