丹後に持ち込まれた最新式技術『中津橋』
昨日、今日と2時間程、仕事を抜けさせて貰って
弥栄町の味土野へ行ってきました。
地図の青いマークが付いてる当たりですね。
ここは丹後を治めていた細川忠興の妻、ガラシャ
(明智光秀の娘)が隠れていた女城がある場所です。
その事については次回にまた書きたいと思います。
今日はそこへ訪れる途中に見つけた古いもののお話です。
野間の中心部、野中に入る手前の集落に新中津橋という
新しい橋があります。その後手に『中津橋』と古い年季の
入った橋があります。
もう鉄筋部分はサビサビです。橋脚も細いですね。
今は3以上の車は通ることが出来ません。
この橋の名前は『中津橋』この橋が出来たのは
いつなのかはわかりませんが昭和20年代ではないか?と
聞きました。その当時、まだプロパンガスなどの
化石燃料が普及はしておらず炭がとても重宝されていた
時代でした。この辺りには沢山の炭焼き小屋が存在し、
良質な炭が出来るということでとても潤っていたそうです。
その当時、最新の技術を駆使した橋をここに掛けたのです。
丹後で一番最初に出来た鉄筋コンクリートの橋だそうだ。
恐らく、当時そのもではなく何度も手直しやメンテナンスが
されていることと思いますがサビサビになった部分からは
当時の面影が見え隠れしているようです。
新しいものが出来るのであれば丹後の中でも中心部の
峰山町あたりだと思うのですがそうではなく、豊かな
野間村(現京丹後市弥栄町野間)だったのですね。
当時の炭焼小屋から煙が立ち上ぼる風景を見てみたいですね。
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