長篠の合戦で鉄砲の三段撃ちは無かった?
2014年2月6日 / 神社・歴史
長篠の合戦で武田勝頼は撤退を進言する家臣を受け入れず
その結果、武田信玄からの重臣を多く無くしてしまい武田家は
滅亡へと向かって行きました。
その長篠の合戦で武田家が壊滅的ダメージを受けたのが
織田・徳川連合軍による鉄砲の三段撃ち。バラバラに
狙撃をするのではなく3000の鉄砲隊を3つに分けて順番に
一斉射撃をしたのです。これには武田軍も為す術がなく
自慢の武田騎馬軍団が鉄砲の餌食となり武田勝頼も
数騎に囲まれながらやっとの思いで戦場から逃げてきた…
僕は戦国時代の話は好きなのですが詳しくはありません。(^^;
ザッとこんな感じだったかと思います。
ところが…。
『鉄砲の三段撃ちは無かった?』
鉄砲三段撃ち「存在せず」史料の誤読を指摘
中央高・平山教諭「長篠」で論考平山 優さん
甲府・中央高教諭で武田氏研究会副会長の平山優さんが、
戦国時代の長篠の合戦で織田信長が武田勝頼に対して用いた
とされる戦法「鉄砲三段撃ち」は存在しなかったとする論考を
まとめ、このほど刊行した「長篠合戦と武田勝頼」で発表した。
三段撃ちは数多くの映画やドラマで“再現”されてきたが、
歴史学者の間には否定的な見方があった。平山さんは史料を
詳しく読み解くことで「否定論」の実証を試みた。山梨日日新聞WEB版より
その根拠などはこちらからでは伺えませんが
びっくり仰天です!
三段撃ちは織田・徳川連合軍の話になりますが
今度は武田軍の武田騎馬軍団も存在が怪しうと
いう説があるようで
『甲陽軍鑑』にある各部将に付属される騎馬武者数を
見ても主力と呼べるほどではなく、元亀2年の河窪信実に
宛てた軍役定書でも騎馬3、鉄砲5、持鑓5、長刀5、長柄10、
弓2、旗3となっている。つまり、騎馬率は1割を下回る。
上杉氏の軍役帳、北条氏家臣の軍役をみても大体似たような
割合であり、むしろ若干北条氏の騎馬率が高いくらいである
天下統一に向けての大戦だったのでしょうが
ひょっとしたらかなり事実にかなり脚色されて
いるのかもしれませんね。(^^;でも脚色されて
いるからこそ話が面白いというのもありますが…
さて、真実は如何に?
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