聖徳太子の異母弟が建てた『一宮神社』
国道9号線で福知山の自衛隊駐屯地辺りを
通り過ぎる時、チラッと見えます。前々から
気になっていた神社です。
行ってみたら意外に大きな神社でして
立派な能舞台まであります。この能舞台を調べて
みると安政4年に朝暉神社境内に藩の普請方に
よって建立されたものを明治7年に一宮神社に
払い下げられ、一宮神社内に移築したそうです。
能舞台が払い下げられる事ってあるんですね(゚д゚)!
境内には摂社、末社が沢山あり、しかもシッカリと
した社殿ばかりです。
タイトルの通り、709年に聖徳太子の異母弟で
ある麻呂子親王によって建立されたという古社です。
麻呂子親王といえば大江山の鬼伝説、間人の立岩に
土熊と言われる鬼を閉じ込めた丹後の歴史と縁の深い
人物です。丹波~丹後に掛けて麻呂子親王に関わる
話は沢山残っています。
この地域は”宗部”(そが)と言われた地域です。
蘇我氏を連想させる地名です。蘇我氏といえば
聖徳太子を支援した大氏族ですから、この辺りは
当時、蘇我氏の影響下にあったのかもしれません。
日本の鬼の交流博物館のHPにこんな事が書かれています。
麻呂子親王伝説を書きとめた文献として、最古の
ものと考えられる「清園寺古縁起」には、麻呂子
親王は、十七才のとき二丹の大王の嗣子となった
とある。
ニ丹の大王の養子になったんでしょうか?ニ丹の大王とは
誰の事を指しているのでしょうか?”丹”と言うのは水銀を
指していて、製鉄に繋がるかと思います。麻呂子親王が丹後
のタタラ集(鬼とされた製鉄技術を持つ人達)を制圧して、
血縁を結び、新たな丹後の支配者となった。と言う事なの
でしょうか?
よく意味が分かりませんが麻呂子親王と言うのは謎の多い
人物のようですね。
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うわ?。また興味深い記事を書いて下さってますね?。
「清園寺縁起」ってどこで読めるんでしょうねえ。
「二丹の大王の養子」? 想像がふくらみます?。
勉強になります。ありがとうございます?。
印刷よめさん
すみません。僕も実際はどんなものかは知らないんです(^^;
調べてましたらリンク先にこんな事が書いてあったんです。
麻呂子親王の鬼退治の時に丹後では何があったのか?と
言うのが興味深いですよね。