最先端製鉄コンビナートがあった鳥取『吉田神社』
配達の帰りに寄ってみました。何となく気になる神社で
半年に1回くらいでしょうか?よく行く神社です。
真っ直ぐにそびえる杉がとても幻想的な雰囲気を
漂わせます。でも前回に行った時よりも杉の数が
減ってスッキリとしたような…
鳥取にある吉田神社から分霊をし祭祀したと言われが
あるそうですが鳥取市にはそう言った神社はなく神名帳にも
記載が残ってません。ただ、この神社がある場所は
京丹後市弥栄町鳥取
同じ鳥取つながりなのです。
社殿も立派です。棟札を見たかったのですが見当たりませんでした。
このタイプは日本海沿岸に普及している
”出雲”というタイプで今にも飛びかかろうと
している”構え獅子”です。
詳しい由緒や歴史はわかりませんが何となく
古くから有るような気がします。
最もこの吉田神社のある鳥取という集落には
遠所製鉄遺跡という当時、最先端技術が
駆使された製鉄コンビナート跡地があります。
丹後の古代史を語る上で放っておけない地
であるのは間違いないと思います。
(口碑)垂仁天皇天下を知食御代天湯川板譽命
但馬国より当地水江に来り、彼の浮べる白鳥を
取り奉り鎮守と爲さんと墨ノ江の水笑松原村の
遠津神に御祈書ありて此水江に網を張りしに
よりて後に水江網野とは称すなり、松原村の東に
鳥取郷鳥取ありこの烏を捕へたる所なりといふ、
と『丹後国竹野郡誌』に書かれています。
(丹後の地名・資料編様より参照)また白鳥は
鉄霊を指すものでもあるそうで製鉄と結びつきます。
こんな神話があります。
誉津別命(後の垂仁天皇)は言葉が喋れなません
でしたがオオハクチョウ(鵠)を見て
『あれはなにか?』と初めて言葉を発しました。
天皇の喜びは大変なもので早速側近にオオハクチョウを
捕えてくるよう命じました。このとき、天湯河板挙命
(あめのゆかわたなのみこと)が
「必ず捕えて参ります」
と約束し捕まえて帰ってきました。 その手柄により
天湯河板挙命は鳥取部の性を与えられ”鳥取”を名乗る
事になります。
ひょっとしたら鳥取は鳥取氏が居を構えていた
場所なのかもしれませんね。
吉田神社の話と全く脱線してしまいましたが
この”鳥取”という地は他にも沢山の遺跡があり
丹後の中でも重要な場所だったのでしょう!
御祭神 天児屋根命、猿田彦命
京都府京丹後市鳥取小字宮ノ森 吉田神社
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