ゴミの話。このままじゃ埋もれてしまう?
先日のムヒカ前大統領の演説の記事を書きましたがその中で
チラッと紹介しましたゴミのお話です。
(写真素材足成様よりお借りしています)
東京都の粗大ごみNo.1はふとん。十数年不動の1位だそうです。
ふとん屋としては辛いところ・・・。恐らく、1位は東京都だけの話ではないでしょう。
東京のような都会と丹後のような田舎とはでは状況の違いは
あるのかもしれませんが全国的に大きな差はないかもしれません。
モノは使っているうちにやがて壊れます。
寿命というのものがあります。ですから人間が消費し、生きている以上
ゴミは必ず出てきます。モノもいつかは寿命がやってきたり
なんらかの理由で不必要になることもあるでしょう。それは当然のことです。
しかし・・・。
それらは本来、ホントに欲しいと望んだものなのでしょうか?
経済の発展のためにドンドンと作り、ドンドンと売り、ドンドンと買い
焼却場へドンドン集められ、ドンドン燃やされる。
常にコマーシャルが消費の後押しをしてきます。まるで使い捨てを
奨励しているかのように。
ふとんが粗大ゴミN0.1である理由は使い捨てになっているから
なのではないでしょうか?使い捨てのつもりはなくとも直ぐにダメに
なるからかもしれません。そんなふとんに恐らく、愛着もないでしょうし
大切に使う、メンテナンスをしようとは思わないでしょう。
何よりもふとんに必要な機能性、保温性、吸湿発散、心地よさ・・・。
見た目はふとんでも肝心のふとんとしての働きが満足できる
ものではないでしょう。本質的なところからだんだんと離れて
しまっている様な気がします。
僕がふとん屋ですのでふとん屋の話を書きましたが
恐らく、ふとん以外のモノもそんな感じじゃなかな?と思います。
売ること一辺倒の経済再優先の考えを改め、使う人のことを考え
思いを馳せたものづくり、販売をしないとこのまま大量消費社会が
追われていくとホントにモノに埋め尽くされてしまうかもしれません(^^;
このままでは先が見えていると言っても過言じゃないでしょう。
僕達、消費者の意識が変わらないとこのままでは行き着くところまで
行ってしまう。今の経済を否定をする訳じゃないですが
あれもこれもではなく、今までよりも自分がホントに必要だ、
使って心地よい、愛着、大切にするそんな思いをもっと大切に
してみたらどうだろうか?
(偉そうなこと書いてますが自分自身に語りかけてます)
モノそのものに幸せがあるのではなく
使うこと、そこから体感するもの、どう使うのか?
それに対する思いから。そういったことから幸せを実感できるのかな?
と思う今日このごろです。
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昔の人は物を大切にしていたと思いますよ~・・・・!
それだけ、手に入りにくく、何でも高価な物だったのかも・・・・
電気製品でも昔は壊れにくい電化製品もありましたし、壊れたら修理をするのが当たり前の時代から、壊れたら買い替えるのが当たり前の現代・・・
修理するなら、買い替えた方が安い!・・・っという物の余現象・・・
安い物を大量に売って儲ける今の考え、見直しも必要かもしれませんね!
いげのやまさん
僕も昔の人はもっと大事にしていたと思います。
買い換えることに追われているような感じがしますよね。
大量消費のこの社会、考えを改める必要があるかと思います。