『鬼退治の功労者達』志布比神社

2016年4月1日 / 丹後の神社, 神社・歴史

3月は暖冬の反動のか?
肌寒い日がようやく終わり、蕾も多くなり
開花し始めるところもちらほらみかる様になりました(^^)

 

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数日前。竹野神社さんで撮影した桜の蕾ですがきっと
今頃は美しく咲いていることでしょう。暖かくなるとついつい、
神社へ行きたくなります。

 

京丹後市内竹野川流域の神社には特徴があります。
峰山町は完全に豊受大神に因む神社が多く、丹後町内に
入ると今度は鬼伝説に因む神社が多くなります。

 

先日、参拝してきた神社

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志布比神社。網野町浜詰にも同名の志布比神社があります。
志布比神社は式内社で論社になります。さてこの神社の面白いところは

志布比神社なのですが本殿に行くと額には・・・

 

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名前が違うわけです。???と思い調べてみますと。
それは祀られている神様の影響でした。
志布比(しふい)神社と呼ばれるのは御祭神が志夫美宿禰命(しぶみのすくねのみこと)
日子坐王の子に当たります。丹後の一番古い鬼伝説で陸耳御笠を倒した人物です。
塩干(しおほし)神社と呼ばれるのは塩干大明神(しふみすくねのみこと)から来ており
麻呂子親王の弟にあたります。この”塩干”に因む伝承として丹後の地名様のWebに
興味深いことが書かれていましたのでご紹介します。

 

 

大昔この付近の村々はみな高い山中にあり、竹野川の流域は海の底であったという。
その頃大山(志布比神社の裏山)に神様がいて、海水を飲み干し田圃をつくろうと考え、
一口飲むと中郡の、二口目に現弥栄町の、三口目に現丹後町の田圃が開かれた。
しかし海水があまりに塩辛かったので飲み干すことがでさず、水溜りが残ってしまった。
里の人々は神に感謝し、飲み残された水溜りの傍らに宮を建てた。
この社がのちに式内志布比神社となり、里人たちは「しおほっさん」と称し崇敬した。
水溜りは小さくなり、今では境内の一部にその跡が残るだけになったが、
明治の初年頃までは水が溜っていて塩辛かったという。

 

今でこそ、竹野川沿いには田園が広がりますが昔、竹野川の
河口付近は大きな潟湖だったと入れています。

 

話が飛びましたがタイトルの通りこの2柱は時代を挟んで
鬼退治に功績をあげた人物です。竹野神社も時代を挟んで鬼退治に
関わった人物が祀られていますがこの志布比神社に祀られている
2柱は当の本人ではないと言うことです。子と弟なのです。
それは何かを意味してるのでしょうかね??

 

御祭神 志夫美宿禰命
京都府京丹後市丹後町大山922  式内社 志布比神社

 

 

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Gamada Hidemasa

 

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歴史の事はよく理解せず書き綴っております。
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