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『清和源氏武士団発祥の地』多田神社

2016年5月29日 / 摂津の神社, 神社・歴史

多田氏と言えば清和源氏の流れを汲む源氏の一族ですね。
Wikipediaによると多田源氏は

 

平安時代中期に都の軍事貴族であった源満仲は、二度国司を務めた
摂津国川辺郡多田庄を所領として
庄内多田盆地(現在の兵庫県川西市多田周辺)に
入部し、現在の多田神社(旧多田院)付近に居館を
構えて周辺に郎党を
住まわせたとされる。そして、これらの郎党を組織して多田庄に武士団を形成した

ことから、のちに武門として大きく発展した清和源氏一族の最初の拠点となった。

 

とあります。ここ多田神社がその場所です。清和源氏が大きく発展した
きっかけになる場所です。御祭神も解りやすく源満仲、源頼光、源頼信、源頼義、源義家。
源満仲の子源頼光は鬼退治に丹後へ四天王を引き連れて侵攻してきてます。
丹後に近いこの地に強力な武士団があったのです。

 

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源氏の流れを汲む足利氏や、源氏を称した徳川氏も、多田神社を源氏霊廟と
認めており、
歴代将軍の遺骨を多田神社に分骨しています。現在の社殿は
徳川家綱によって再建されています。
それだけ将軍家に大切にされてきた神社です。

 

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僕が1番反応したのはここです(笑)3番に家来は名高き四天王と
ありますがこの四天王の一人が誰でもしってる金太郎こと坂田金時。
四天王には加えられていませんが一緒に鬼退治をし、武勇で名を
馳せた藤原保昌はのちに丹後国の国司となります。

 

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今回は珍しく、東京から各地の神社巡りをしていらっしゃる
ご夫婦と仲良くなり一緒に参拝をさせてもらいました。

 

 

御祭神:源満仲、源頼光、源頼信、源頼義、源義家
兵庫県川西市多田院多田所町1-1  旧県社 多田神社

 

 

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『京都の酒天童子伝承地』樫原三ノ宮神社

2015年10月20日 / 山城の神社, 神社・歴史

先日、京都でお仕事を頂く機会があり、西京区へ行ってきました。
車のナビを見てるとこの辺りには三宮神社と呼ばれる神社が多いなと
気になり、そのうちの一箇所、樫原三ノ宮神社へ何気に寄ってみました。

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参拝しようと拝殿に向かうとなんと!!

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拝殿の天井に酒天童子の絵が掲げられているじゃないですか!
僕は丹後の人間ですので酒天童子=大江山と思いが強いのですが
酒天童子に纏わる伝承はあちこちにあります。生まれは越後、素盞鳴命との
戦いに敗れたヤマタノオロチが出雲から落ち延び、近江の富豪の娘に
生ませたのが酒天童子だとか・・・。各地にあります。

 

境内にある案内板によると源頼光がこの地の
小さな祠に備えてあった御神酒を飲むとたちまち酔いつぶれてしまったので
この御神酒を酒呑童子に飲ませて酔わせて退治したとあります。

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酒呑童子の最後の言葉『鬼に横道なきものを・・・。』果たして鬼とされた酒呑童子は
悪者だったのか?

 

酒呑童子を討伐するきっかけとなったのが都の若者や姫君が次々と神隠しに
合い、その原因を安倍晴明に占わせると酒呑童子の仕業だと解ったからだそうだ。

 

酒呑童子の最後の言葉。『鬼に横道なきものを・・・。』果たして鬼とされた
酒呑童子は悪者だったのか?そもそも酒呑童子とは何者だったのでしょう?

 

御祭神 素盞鳴命、酒解神、大山咋命
京都府京都市西京区樫原杉原町12-1  旧村社  樫原三ノ宮神社

 

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