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先祖代々の続き

2022年2月11日 / 日々の話

あれから、以前聞いた情報を元に
どの本に載っているかを丹後の歴史に
詳しいお知り合いに問い合わせて
どういう資料に載っているのかをに教えて貰い、
峰山図書館で調べてきました。

 

 

 

 

それは京丹後市が編纂した
『峰山藩関係資料集』に載っていました。
その中の『明和三年(1766年)御用諸色之控』に
当時の当主であったであろう『ゑびすや孫助』の名が
度々出てきます。面白いのがこの辺りは城下町で
古くからの場ですから恐らくこの店であろう名が
ちらほらあります。ここから数件見つける事が
出来ました。弊店と同様、屋号をそのままだったり
現在、ご商売をされていなくても昔の屋号を
未だに使ったりしていたりします。

 

 

昔の言葉で書かれているので訳せてるのかが
怪しく雰囲気で読み取ってるので正確性に欠けるのと
えびすやの部分だけ見ています。

 

 

明和三年、峰山藩6代目当主の高久公が初めて
御国入りをされる時の段取りはかなり入念だったようで
かなり事細かく書かれています。火の用心、見物人への注意事項
常立寺で催しものの上覧相撲の段取り…。新ご当主の
お国入りは絶対に失敗があってはならないのでしょう。

 

 

その中の指示の一つに
高久公がお国入りする際に、主要な辻に
それぞれ羽織袴を着用した者を2人配置する事。
その配置場所の一つに『ゑびすや前』とあります。
その先が出町通りとありますのでこの通りは
現在の字冨貴屋~堺にかけてでしょう。その先の
字安は『安村』ですので出町通りまでが峰山藩の
城下だったのかな?と思います。新治→安→出町通りの
ルートでお国入りされたのでしょう。
因みにその当時、まだ金刀比羅神社はありません。

 

 

この古文書に出てくる当時のえびすやは
商人宿をしていた。けれども田舎ですので宿が豊富に
あるわけではなく普通に商家が旅人を泊めていたのでは?と思います。

 

多くの事を伺い知る事は出来ませんが
少しでも当時の当主の事が知れたことが
とても嬉しく思います。

 

 

えびすやの得意な仕事

 

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先祖代々

2022年2月7日 / 日々の話

当店、『ふとんのえびすや』は明治10年に
5代前の当主の初代國太郎が起業した呉服店が始まりであると
聞かされていました。先代もルーツを調べ、何処で生まれたのか
まで調べていて家系図を見せて貰ったことがあります。

 

 

淀徳書店が発行した大正元年発行の集合広告

 

3~4年程前まではそう思っておりました。
歴史好きな知り合いから聞かれたのが
江戸時代中期(?)だったと思いますが
京極家峰山藩の街中で起きた日々の出来事を
綴った一次資料があって図書館で見れるらしい。

 

 

その内容と言うのが隣村から若衆が
喧嘩にやってきたとか。お殿様に披露する
相撲大会に関取を呼ぶ段取りの話など
当時の日常が綴られているらしい。
その中に『えびすや』が度ちらちらと出てくるそうだ。

 

 

おぼろげに祖父や祖父の弟、先代の話や
うちに勤めて頂いてた番頭さんのご子孫から聞いた
話の朧げな記憶や考察してみると
呉服問屋をしていたえびすやに初代は
えびすやに丁稚奉公として入り

その後、えびすやを引き継いだ様な感じなのです。
敷地の中には初代がこの地に来る前から
ずーっと昔からある祠(お稲荷さん)を
お祀りする様に代々言われているのです。

 

 

そのいきさつの末端の末端でも知っていたであろう
祖父はいませんし、丹後大震災で全てが焼けて
しまっているので当時の事を知る資料や品は
一切残っていませんのでなんとも言えませんが
初代からもえびすやとしてはいくらかは遡れそうです。
その間には苦労や困難もたくさんあったと思います。
丹後大震災や太平洋戦争は僕が知る限りでも
大変だったと聞きます。(><)そいった困難を
くぐり抜けて今があります。

 

 

決して僕は商い上手ではありません。
どちらかと言う商売下手です。(笑)
ただ、この令和の世にご先祖や
当主たちが残した屋号をなんとか踏ん張って
守らせて頂いております。これからも
えびすやの事を守って頂きますよう
宜しくお願い致します。

 

 

今日の記事はご先祖・ご当主への感謝です。

 

 

えびすやの得意な仕事

 

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市議会議員選挙真っ只中!

2016年4月20日 / 日々の話

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京丹後市では市長、市議会議員選挙が始まりました。
どの候補者も自身の住んでいる京丹後を良くしたい!と言う
一心で立候補をされたことと思います。
候補者の皆様、健闘を祈っております。

 

歴史学者トインビーによると神話を学ばせない国は
100年と持たないという言葉を残しているそうです。

 

身近に感じやすくするため国を住んでいる地域に置き換え、
神話を歴史と置き換えてみると解りやすいかもしれませんね。

 

僕が丹後の歴史に興味を持ち始めたのはここ数年の事。
それも幼き息子に引っ張られるようにして・・・。
歴史の事はまだまだ理解できていませんがこれだけは解かります。
それは”丹後の歴史は奥深い”と言うこと。

 

浦島太郎伝説
羽衣天女伝説
3つの鬼伝説(彦坐王・麻呂子親王・源頼光)
徐福伝説その他にも諸々とあります。

 

古墳の数も大量にあり丹後半島だけで約6,000基。それも
殆ど手付かずで数がハッキリしないそうです。ちなみに
平成13年の文化庁の調べでは全国で約160,000基、京都府下
で11,310基(京都府は全国5位)。それを考えると丹後という
狭いエリアで相当な数が集中しています。

 

小学校の遠足の時、担任の先生が小山を指差して
『あれ、古墳!、あっちも古墳、ココも古墳。』ちっちゃい小山は
ほぼ古墳って言ってたのを思い出しました。

 

話が脱線してしまいましたが

 

こういう話を聞くと心の琴線に触れるようで身体がゾクゾクとし、
この地に根を下ろしていた丹後の人々の先祖は何をしていたんだろう?
ここはどんな地域だったのだろうか?色んな事をもっと知りたい
そんな欲求に駆られてきます。こういう事が自分たちが住む町、

育ってきた町への誇りや郷土に対する愛情が育まれる1つに
なると思うのです。(僕の周りには多いです。)

 

町を作るのは人です。人を動かす原動力の根底に必要なのは
町を誇りに思い、愛情を持つこと。これが1番大切なことだと思います。
僕ももっと幼き子供の頃に丹後の歴史に触れてみたかったです。
教えてもらっていたのに気が付かなかっただけ?かもしれませんが…(^^;



地域の歴史を知ることは直接的ではないと思いますが町づくりに
繋がる事と思います。なので当選された暁には丹後の歴史を
学ぶ機会を増やして下さい。どうぞ宜しくお願い致します。

 

 

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ふとんのえびすや
京都府京丹後市峰山町呉服6
(京都銀行峰山支店前)
定休日:ほぼ無休(不定休)
※御来店前に連絡を頂けると幸いです
営業時間:AM9:00~PM7:00

 

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