松井康之の立身は丹後から始まった。『城山稲荷神社』
2014年2月19日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史
僕の好きな神社めぐりですがじっくり巡ると
なるとなかなか時間がありません。なので
仕事など用事がある時にその近くの神社に
出来る限り参拝するようにしています。
が…。残念なことに今回は鳥居のみ(^^;
字の如く”城山”そう、山城跡に建立されている
神社なのです。なので登っている時間が無い
ので今回は残念ながら断念…(T_T)
先程、山城と書きましたがここは『松倉城(久美浜城』
という丹後一色家の熊野郡の拠点でありました。1582年
織田信長の命を受けた細川藤孝による丹後侵攻が始まりました。
ウィキペディア:松井康之より
その時に松井康之は松倉周防守が守るこの松倉城を
攻め落としています。のちに細川藤孝に久美浜の地に
1万3000石の知行を与えられ細川家家老となります。
それからの出世は目覚ましく武将として名を馳せ、
主君の細川藤孝や忠興に認められるのではなく
豊臣秀吉や徳川家康の信頼も大変厚かったようです。
最終的には2万8000石、熊本藩筆頭家老家となり一国
一城の唯一の例外として八代城主として封じられました。
その立身の始まりはここ久美浜の松倉城から始まったと
言っても過言ではないかと思います。今回は登城出来ません
でしたが次回は松井康之が見たであろう、久美浜の海と
町並みを眺めてみたいものです。
場所も分かりやすく久美浜小学校の裏山です。遠くから
でも山の中腹に朱塗りの鳥居が見えます。お時間が
御座いましたら歴史を偲び、久美浜の美しい景色を
お楽しみ下さい。(^^)
京都府京丹後市久美浜町 城山稲荷神社(松倉城跡)
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