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『大国主の乗った船を救ったサザエ』白瀧神社

2019年5月30日 / 丹後の古墳・史跡, 丹後の歴史, 神社・歴史

先日、網野町掛津、鳴き砂で有名な琴引浜を
見下ろすような形で鎮座する白瀧神社へ行ってきました。
大物主命が祀られる村の神社だ。

 

 

 

 

 

この神社の伝承に面白い話がありまして…。
出雲からやってくる大国主命が乗る船が通り
かかった時、船底に穴が空いていてサザエが
穴を塞いで救ったという話があるのだ。だから
白瀧神社の御祭神は大物主命。

 

 

こんな話どっかで聞いたことあるぞ?

 

 

それは朝来の赤淵神社だ。勅使門のある立派な
神社です。その神社の伝承によると大化3年(645年)、
新羅軍が但馬に侵攻してきて、表米宿禰命が
丹後国与謝郡の白糸浜で迎え撃ち、大勝利を納め
逃げる敵を追撃した時に嵐にあい遭難しかけると
無数のアワビが現われ危機を救った。

 

 

そして、もう一つ但馬の浜坂にある宇都野神社。
日子坐王が賊を討伐し、但馬・丹後を平定(当時は
一つの国)し凱旋の帰途に船に大きな穴が空いている
事が解り、いつ遭難してもおかしくない状況。
修理を仰せつかった宇都野真若命は困ってしまいます。
その時に宇都野真若命の事を慕っていた村娘が
アワビに姿を変え穴を塞ぎピンチを救いました。
ちなみにその賊と言うのは玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)
3つある一番古い鬼伝説の鬼です。

 

 

この話は元々、一つの話だったのではないでしょうか?
白瀧神社の伝承がもう少し詳しく解ると
もっと面白いのですが…。詳しい方がいらしたら
教えて欲しいです。宜しくお願いします。

 



気になる共通項。
日下部氏。丹後但馬一帯には日下部氏の痕跡が
多く残っています。浦島太郎も日下部氏です。
日子坐王も表米宿禰命も日下部氏のルーツと
言われ、掛津のある網野町には浦島伝説が残る
日下部氏との縁の深い場所。

 

 

表米宿禰命が船舶が壊れてしまった時に
祈った神は『粟鹿神』粟鹿神を祀っているのは
但馬国一宮粟鹿神社です。ここの宮司は代々
出雲系の三輪氏と同族の神(みわ)部氏。
『粟鹿大明神元記』という古文書に
記されている様だ。三輪氏は大神神社一帯を
納めていた大国主をルーツとする古代氏族と
して知られています。のちに神部氏から
宮司職を引き継ぐのは日下部氏です。
むちゃくちゃ強引ではありますが(許して~)
大国主命と繋げてみました(^^;とは言うものの

与謝郡の大虫神社・小虫神社・倭文神社では
大国主にまつわる伝承がありますので
丹後は出雲とは繋がりがそれなりにありそうです。

 

 

 

白瀧神社の伝承の大国主(大物主)命は
日下部氏の事を指しているのかもしれません。
とはいえ白瀧神社の伝承の詳細がもっと
解れば良いのですが…。

 

 

丹後の地元民として琴引浜にまつわる
話としてもっと前面に押し出してほしいと
個人的に思っております。今回はかなり
妄想してしまいました。すみません(^^;

 


京都府京丹後市網野町掛津7-1
御祭神 大物主命 白瀧神社 

 

 

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『日下部氏居住地跡』産霊七社神社

2016年4月16日 / 丹後の神社, 神社・歴史

今日の丹後はお天気に恵まれました(^^)
ふらりととある歴史ある神社へ寄ってみました。

 

竹野神社の巫女は必ず市場村の日下部氏の血を引くものと決まって
いたそうですがその市場村にある産霊七社神社へ行ってきました。

1474

 

名前で想像付くと思いますが産霊神社と七社神社が
明治期に合祀されています。

 

1475

 

石段も長く趣があります。

 

1476

 

雪囲いがまだあり、本殿や拝殿がちゃんと見えないのが少し残念(><)

 

1477

 

拝殿で面白い彫りを見つけました。

 

1478

 

獅子が親子で戯れています。初めて見る彫りでした。

 

そして、気になる石碑を発見!

 

 

1480

1479

 

なんと!この地は日下部氏の居住地だったのか??
日下部氏の系図には2つの系統があります。

 

 

①第9代天皇の第三皇子、日子坐王をルーツとする説

 

この石碑にある
②第36代孝徳天皇の孫、日下部表米(日下部宿禰)をルーツとする説

 

2つがあります。どちらが正しいのかは解りませんが
日下部表米以降の系図は殆ど一緒のようです。

 

どっちにしても丹後の歴史に日下部氏が大きく関わっていることには
間違いがないかと思います。日下部氏は丹後だけではなく但馬の
歴史にも大きく関わっており但馬の神社でも日子坐王が祀られ
日下部氏の匂いがします。

 

但馬国一宮、粟鹿神社の社家は日下部氏で日子坐王を
祀っていたりします。この産霊七社神社もこの石碑を見る限り
日下部氏が社家です。今でも社家として宮司をされてるのでしょうか?
丹後の神社で国常立命が祀られているのは珍しいですね。

 

 

御祭神:国常立命、天津彦根命、天穗日命、素盞嗚命、正哉吾勝勝速日天忍穗耳命
活津彦根命、熊野久須日命、稲田姫命

京都府京丹後市久美浜町市場向山  産霊七社神社

 

 

 

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巫女達が暮らした跡

2016年3月29日 / 丹後の歴史, 神社・歴史

竹野神社の近くに『巫女屋敷跡』と呼ばれる場所があります。

 

1428

 

と言いましても特になんら珍しい事もない空き地なのですが
ここに竹野神社の巫女さん達が住んでいたのです。

 

その巫女さんと言うのは何故か久美浜の市場の娘と決まってのです。
それを表すかのように市場には『斎宮大明神』という祠が大事に祀られています。

 

しかもその巫女は日下部氏の中から選ばれる。日下部氏です。
日下部氏といえば浦島太郎こと浦嶋子も日下部氏です。

 

竹野神社では”日子坐王命”が御祭神として祀られていますが
日子坐王命は開化天皇の第三皇子であり日下部氏の始祖と言われる人物。
四道将軍、丹波道主命の父にあたります。

 

また、どういう因果なのか解りませんが日子坐王命は丹後の最初の
鬼伝説で土蜘蛛倒します。次の鬼伝説では麻呂子親王が土熊を
立岩に封じ込めます。この鬼を倒した2人英雄がココに揃って祀られています。

 

話が脱線しましたが
日下部氏の中から巫女が選ばれていたということは竹野神社と
日下部氏の関係性が深いということだと思うのですが古事記でみると
日子坐王命は竹野媛の実子ではないので何故?とも思うのですが(^^;
日本書紀においては丹波道主命の娘で日葉酢媛命と竹野媛は姉妹に・・・。
そのあたりのことはよく解りませんが日下部氏と竹野神社の関係性が
少し見えるような気がします。

 

京都府京丹後市丹後町宮  巫女屋敷跡

 

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