タグ「竹野媛」を含む記事

邪馬台国が丹後にあったという人は殆どいない

2017年1月21日 / 丹後の歴史,

殆どいないと思います。そんな本も見たことありませんが・・・。

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こういう事を書いてくれると丹後の人間として嬉しいですね(^^)
まだ読んでいませんがなんかワクワクしてます。ちょっとだけちら見を
してみると竹野媛は醜いから返されたのではない!とのタイトルが。
竹野媛は2人いて垂仁天皇の后として嫁いだが醜いので追い返されて乙訓郡で
自殺してしまう竹野媛と開化天皇の后で晩年故郷に帰り
天照大御神を祀ったとするのが竹野神社とされる竹野媛がいます。
古事記と日本書紀に書かれてることがどうも混同しててややこしい。
追い返された竹野媛もホントは返されたのかどうか・・・古事記に
出て来る磐長姫も醜さが故に追い返されたとありますが果たして
ホントに醜いことが原因なのか?ホントは別の所にわけがありそうですが・・・

 

後者の竹野媛は卑弥呼亡き後の男王が建てられた
再び国が乱れる倭国大乱が起こる。台与という
女性を立てると争いが収まった言われています。
その女性が竹野媛ではないかという説があります。

 

丹後の人間として丹後が邪馬台国なら実の面白いのですね。(´艸`)
真実は一体何なのでしょうか?僕には知識が乏しいので想像さえ
付きませんが。。。。

 

 

 

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巫女達が暮らした跡

2016年3月29日 / 丹後の歴史, 神社・歴史

竹野神社の近くに『巫女屋敷跡』と呼ばれる場所があります。

 

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と言いましても特になんら珍しい事もない空き地なのですが
ここに竹野神社の巫女さん達が住んでいたのです。

 

その巫女さんと言うのは何故か久美浜の市場の娘と決まってのです。
それを表すかのように市場には『斎宮大明神』という祠が大事に祀られています。

 

しかもその巫女は日下部氏の中から選ばれる。日下部氏です。
日下部氏といえば浦島太郎こと浦嶋子も日下部氏です。

 

竹野神社では”日子坐王命”が御祭神として祀られていますが
日子坐王命は開化天皇の第三皇子であり日下部氏の始祖と言われる人物。
四道将軍、丹波道主命の父にあたります。

 

また、どういう因果なのか解りませんが日子坐王命は丹後の最初の
鬼伝説で土蜘蛛倒します。次の鬼伝説では麻呂子親王が土熊を
立岩に封じ込めます。この鬼を倒した2人英雄がココに揃って祀られています。

 

話が脱線しましたが
日下部氏の中から巫女が選ばれていたということは竹野神社と
日下部氏の関係性が深いということだと思うのですが古事記でみると
日子坐王命は竹野媛の実子ではないので何故?とも思うのですが(^^;
日本書紀においては丹波道主命の娘で日葉酢媛命と竹野媛は姉妹に・・・。
そのあたりのことはよく解りませんが日下部氏と竹野神社の関係性が
少し見えるような気がします。

 

京都府京丹後市丹後町宮  巫女屋敷跡

 

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『古社の初午』竹野神社

2015年3月24日 / 丹後の神社, 神社・歴史

神社が1番輝くのはお祭りじゃないでしょうか?
前々から行きたいと思っていながら行けず、
今年、初めて竹野神社の初午に行ってきました。

初午とは何かと言いますと

稲荷社の本社である伏見稲荷神社のご祭神・宇迦御霊神が伊奈利山へ降りた日が
和銅4年2月11日(711年3月4日。2月9日(3月2日)説もある)であったとされ、
この日が初午であったことから、全国で稲荷社を祀る。また、この日を蚕や牛・
馬の祭日とする風習もある[1]。江戸時代には、この日に子供が寺子屋へ入門した。
本来は旧暦2月の最初の午の日であるが、現在では新暦2月の最初の午の日とされている。
そのため、元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまった。
また今では2月最初の午の日とされるが、古来は、立春以降の最初の午の日に行われていた

Wikipedia『初午』より抜粋

竹野神社の祭神に稲荷神社なんてあったかな???と
思っておりましたらちゃーんと末社にありました(^^;
先程の写真の祈願はこの後行われる、竹馬レースの安全祈願です(^^)
毎年恒例になりつつあります。今年で3度目だったかな?

一方、うちの子供等は結構神社が好きなんです。全ての
お社に回ってお賽銭をします。これを持って


座敷わらしのわらちゃんの巾着袋。これは大層、不思議な不思議な袋。
ウッシッシです(*´艸`*)えびすやに置いてますのでご興味のある方は
お越しください(^^)子供たちはこの袋にお賽銭を入れてるんです。

さてさて、この竹野神社はとても古い神社です。
ココに祀られている竹野媛というのは諸説ありますが由碁理と言われています。
由碁理と言うのは丹波大縣主。つまり田庭の国の大国王で大きな力を
持っていました。竹野媛は第9代開化天皇に嫁ぎましたが晩年、この地に
やってきて天照大御神をお祀りしたのがこの神社の始まりとも、
大江山の鬼退治伝説の麻呂子親王が天照大御神をお祀りしたとも…。
近くには土蜘蛛(鬼)が封じ込められた立岩があります。

竹野神社のすぐ裏手には日本海三大古墳の1つ神明山古墳があります。
そういう事を考えると絶対に何かあります!あるはずですよね( ̄ー ̄)ニヤリ

御祭神 天照大御神 (斎宮:竹野媛命、 建豊波豆羅和氣命、日子坐王命)
京都府京丹後市丹後町宮宮ノ谷245????? ? 式内名神大社 竹野神社

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『日本最古の羽衣天女伝説』乙女神社

2014年4月3日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

誰もが子供の頃、一度は聞いたことのある羽衣天女の
話。日本各地に羽衣天女の話があります。三保の松原
などが有名ですが中でも丹後に伝わる羽衣天女の話が
文書で残されたものとして最も古いそうです。

丹後には少し異なる羽衣伝説が2つあるのです。
そのうちの一つで丹後風土記に書かれているものとは
少し話が異なります。

乙女神社の天女伝説

むかしむかし比治(ひじ)の山の頂き近くに大きな美しい池があり、
その池に八人の天女が舞い降りて水浴びをしていました。  それを
見ていた三右衛門(さんねも)という里の狩人が、 一枚の羽衣を
隠してしまいまったために、天女のひとりは天に帰れなくなっ て
しまいました。天女は三右衛門と一緒に暮らすことになり、三人の
美しい女児をもうけました。  天女は農業、養蚕、機織り、酒造り
が上手で、三右衛門の家はもとより比治の里はすっかり豊かになり
ましたが、天恋しさに耐えかねた天女は三右衛門の留守中に、「お
父様は毎朝何処を拝んで出かけていくの?」と娘達に尋ねました。
娘達は家の大黒柱を指さしました。大黒柱の穴に隠してあった羽衣を
見つけた天女は、羽衣を身に着けると、駆け戻った三右衛門に「七日
七日に会いましょう」と云い残して天に帰っていきました。  しかし
その様子を伺っていた天の邪鬼(あまのじゃく)が「『七月七日に会い
ましょう』と言っていた」と三右衛門に伝えました。一年に一度しか
会えないと思いこんだ三右衛門は、天女が残していった夕顔(ゆうごう)
の種を庭に蒔いて、天女が天に帰ったことを嘆き悲しんでいました。  
するとどうでしょう。夕顔は天に向かってぐんぐん伸び始めました。
この蔓を登っていけば天に行けるかも知れないと思った三右衛門は、
夕顔の蔓を懸命に登っていき、ついに天上に辿り着きました。天上で
三右衛門は天女に会うことができました。  天上で天女と暮らしたい
三右衛門は、天帝に天上界で暮らしたいと願い出ました。天帝は天の
川への架橋を条件に出し、無事橋が架けられたら一緒に天上界で暮ら
すことを認めるとしました。  仕事を請け負った際に天帝と、橋が
完成するまでは天女を思い出さないと約束していた三右衛門でしたが、
天女恋しさのあまりついついその約束を破ってしまいます。約束を
破った途端天の川は大洪水になってしまい、三右衛門は下界へ流され
てしまいました。

凡海郷様のHPより抜粋させて頂いています。

この神社のある地域には三右衛門の末裔である
安達家には三右衛門が使っていた矢と矢筒や
羽衣伝説にちなむ掛け軸などが今でも残っています。
そそて、天女はこの安達家の庭から昇ったとも
言われているそうです。

この乙女神社には三右衛門の長女が祀られています。

さて、話は少し変わりますが川上順子さんが1995年に
書かれた『古事記と女性祭祀伝承』と言う本を一部抜粋しますと

丹波道主のこの八乙女には天から降りた天女のイメージが
重なっている。そしてまた、この乙女たちは垂仁天皇の御世に
宮中に招請された丹波道主王の女たちの末裔であったと考える
事もできるのである。すなわち、垂仁天皇の御世丹波道主王と
垂仁天皇の后妃となる道主王の女達は『神道五分書』に登場
する丹波の道主とそのこの八乙女たちの祖先であったという
考え方がなされていたのである。

8人の乙女と言うのは豊受大神を祀る女性祭祀集団では
無いのか?としています。道主王と言うの名も代々襲名
される祭祀集団の長だとも書かれています。

そして、垂仁天皇の妃としてまた神を祀る祭祀者として
宮中に喚上されています。その中で、故郷に返された女性が
存在します円野比売、歌凝比売、そして、竹野神社の齋宮に
祀られている竹野媛。

読んでみたものの対して詳しくない僕にはちゃんと理解は
出来ていませんが(もっと勉強せなあかんですね)・・・
羽衣天女の話が何処か知られざる歴史に繋がりそうな
気がしてきます。

羽衣天女伝説は一体、どんな出来事をモチーフとした
話なのでしょうか?それに加え、丹波国とは一体どんな
国だったのでしょうか?

御祭神 豊宇賀能賣神、大山祇神

京都府京丹後市峰山町鱒留蛭子堂433  乙女神社

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丹後屈指の古社!『竹野神社』

2014年3月8日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

雪がちらつく中、仕事の合間に参拝してきました。
初詣依頼今年2回目の参拝になります。

この竹野神社は丹後の中でも屈指の古社です。
この木々がかぶさるように参道を覆います。

ココが一番、竹野神社で好きな場所で趣も感じます(^^)

丹後でよく見かけるタイプの狛犬です。
出雲丹後の『構え獅子』と呼ばれる形ですね。

丹後半島の竹野川流域の神社では豊受大神が主祭神
として祀られることが多いのですがココ竹野神社は
天照大御神です。天照大御神が祀られている理由は
開化天皇の后だった竹野媛(大県主由碁理の娘)が
晩年、天照大御神を祀ったのが始まりと言い伝え
られています。(鬼退治伝説の麻呂子親王とも)

面白いサイトがありましたのでリンクさせて頂きました。

勘注系図より建諸隅命(たけもろずみのみこと)

以下リンク先より一部抜粋させて頂きますと

『勘注系図』はこの竹野媛の父親である由碁理を
建諸隅命とするのである。 開化の妃になった竹野姫が、
丹波の大縣主由碁理の娘であるということは、『古事記』が
伝えるところである。 だとすれば丹波の支配者の系譜に、
由碁理が登場したとしても不思議はない。またこの
建諸隅命は開化に仕えたとするから、開化時代の人である。
『勘注系図』の注記は開化の時代に、丹波国の丹波郡
(たんばのこおり)と余社郡(よさのこおり)を割いて、
竹野姫の屯倉(みやけ)を置い たとする。そして建諸隅命は
開化に仕えたとする。 建諸隅のまたの名を竹野別といい、
後に竹野が郡(こおり)の名前になったとする。和名抄に
記載される竹野郡(たかのこおり)は、現在の京丹後市
網野町、弥栄町、丹後町あたりでその中心は丹後町とされる。
ここは由碁理が国府を置いたと言う伝承を持つ。 開化の
妃に成った竹野媛(竹野姫)というその名前は、竹野別
(たけのわけ)という父親の名に由来するものである。
この竹野姫のもとの名は天豊姫である。建諸隅命
(たけもろずみのみこと)の又の名は由碁理(ゆごり)である。

『古事記』第九代、開化天皇記より 若倭根子日子大毘毘命
坐春日之伊邪河宮 治天下也  此天皇 娶旦波之大縣主
名由碁理之女 竹野比賣

 

勘注系図と古事記に記載される事を元にすると開化天皇の妃
だった竹野媛の父は丹波大県主由碁理であり、丹波大県主由碁理は
建諸隅命である。建諸隅命は開化天皇に使えていた。竹野媛の
元々の名は天豊姫であり、そして天豊姫はまた”台与”であると
いう説もあります。

この時代、丹波は相当な力を持っていたはずです。しかし、
歴史舞台から消されてしまったかのように残念なことに
丹後の繁栄は語られる事がありませんよね…。

ちゃんと勉強していないと調べても理解しきれず難しいですね(><)

そうそう!竹野神社にて3月23日に行われる初午祭があります。
面白いイベントもあるようですので皆さんも是非、行ってみて下さい(^^)

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御祭神 天照大御神 (斎宮:竹野媛命、 建豊波豆羅和氣命、日子坐王命)

京都府京丹後市丹後町宮宮ノ谷245 竹野神社

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ふとんのえびすや
京都府京丹後市峰山町呉服6
(京都銀行峰山支店前)
定休日:ほぼ無休(不定休)
営業時間:AM9:00~PM7:00

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