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『日下部氏居住地跡』産霊七社神社

2016年4月16日 / 丹後の神社, 神社・歴史

今日の丹後はお天気に恵まれました(^^)
ふらりととある歴史ある神社へ寄ってみました。

 

竹野神社の巫女は必ず市場村の日下部氏の血を引くものと決まって
いたそうですがその市場村にある産霊七社神社へ行ってきました。

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名前で想像付くと思いますが産霊神社と七社神社が
明治期に合祀されています。

 

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石段も長く趣があります。

 

1476

 

雪囲いがまだあり、本殿や拝殿がちゃんと見えないのが少し残念(><)

 

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拝殿で面白い彫りを見つけました。

 

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獅子が親子で戯れています。初めて見る彫りでした。

 

そして、気になる石碑を発見!

 

 

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なんと!この地は日下部氏の居住地だったのか??
日下部氏の系図には2つの系統があります。

 

 

①第9代天皇の第三皇子、日子坐王をルーツとする説

 

この石碑にある
②第36代孝徳天皇の孫、日下部表米(日下部宿禰)をルーツとする説

 

2つがあります。どちらが正しいのかは解りませんが
日下部表米以降の系図は殆ど一緒のようです。

 

どっちにしても丹後の歴史に日下部氏が大きく関わっていることには
間違いがないかと思います。日下部氏は丹後だけではなく但馬の
歴史にも大きく関わっており但馬の神社でも日子坐王が祀られ
日下部氏の匂いがします。

 

但馬国一宮、粟鹿神社の社家は日下部氏で日子坐王を
祀っていたりします。この産霊七社神社もこの石碑を見る限り
日下部氏が社家です。今でも社家として宮司をされてるのでしょうか?
丹後の神社で国常立命が祀られているのは珍しいですね。

 

 

御祭神:国常立命、天津彦根命、天穗日命、素盞嗚命、正哉吾勝勝速日天忍穗耳命
活津彦根命、熊野久須日命、稲田姫命

京都府京丹後市久美浜町市場向山  産霊七社神社

 

 

 

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巫女達が暮らした跡

2016年3月29日 / 丹後の歴史, 神社・歴史

竹野神社の近くに『巫女屋敷跡』と呼ばれる場所があります。

 

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と言いましても特になんら珍しい事もない空き地なのですが
ここに竹野神社の巫女さん達が住んでいたのです。

 

その巫女さんと言うのは何故か久美浜の市場の娘と決まってのです。
それを表すかのように市場には『斎宮大明神』という祠が大事に祀られています。

 

しかもその巫女は日下部氏の中から選ばれる。日下部氏です。
日下部氏といえば浦島太郎こと浦嶋子も日下部氏です。

 

竹野神社では”日子坐王命”が御祭神として祀られていますが
日子坐王命は開化天皇の第三皇子であり日下部氏の始祖と言われる人物。
四道将軍、丹波道主命の父にあたります。

 

また、どういう因果なのか解りませんが日子坐王命は丹後の最初の
鬼伝説で土蜘蛛倒します。次の鬼伝説では麻呂子親王が土熊を
立岩に封じ込めます。この鬼を倒した2人英雄がココに揃って祀られています。

 

話が脱線しましたが
日下部氏の中から巫女が選ばれていたということは竹野神社と
日下部氏の関係性が深いということだと思うのですが古事記でみると
日子坐王命は竹野媛の実子ではないので何故?とも思うのですが(^^;
日本書紀においては丹波道主命の娘で日葉酢媛命と竹野媛は姉妹に・・・。
そのあたりのことはよく解りませんが日下部氏と竹野神社の関係性が
少し見えるような気がします。

 

京都府京丹後市丹後町宮  巫女屋敷跡

 

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『但馬国屈指の古社』粟鹿神社

2015年2月27日 / 但馬の神社, 神社・歴史

たまたま、仕事でこの辺りに来るチャンスに恵まれ
前々から行きたいと願っていた粟鹿(あわが)神社へ参拝してきました。
一宮の割には小ぢんまりとした神社ですが見るべき所は沢山あります。

依代がシッカリと作られてあります。
この依代の前にあるのは勅使門。

この門は僕らはくぐることが出来ません。勅使とは天皇の使者の
事です。過去に四回、国難に見舞われた時に勅使がやってきたそうです。
それだけ国の信頼が厚い神社だと言えます。社殿では2000年の歴史が
あり但馬では最も古い神社なのです。ちなみに扉の鳳凰は江戸期に
活躍した彫師、左甚五郎の作品だとか

この粟鹿神社は日下部氏と大変ゆかりが深く、日下部氏が社家で
あると思っていたら…祭神に亜米美佐利命(アメノミサリノミコト)??
聞きなれない神が祀られています。大国主の子にあたるそうです。
大国主には沢山の妻がいてましたので事代主命や建御名方神などは
有名ですが初めて耳にする神です。

ということは出雲の影響を受けているということになりますね。
京都九条家の秘庫に蔵 されていた『粟鹿大明神元気』という
昭和三十年に是澤恭三博士が発掘された書物によると
社家は大国主命や素盞嗚命の末裔で出雲系の神(みわ)部氏だと
神々の黄昏様が奥の深い考察をされていらっしゃいます。その中に

粟鹿神社の祭主は、古代に神部氏が務め、
その後、日下部宿禰 が務めるようになった。
そして、神部氏と日下部宿禰との接点が
『粟鹿大明神元記』に ある神部氏系図の
なかにみえる都牟自に感じ取れるのである。

決して関係のない氏族ではなさそうですね。 でも僕の頭は
グッチャグチャです(><)そして更に読んでいくと興味深い文章が

 

日下部氏は但馬国造氏族(丹波(丹後)国造氏族と同族)と
称している一方、宝賀寿男氏の古代氏族系譜集成 によれば、
神宮外宮の度会氏は、丹波国造氏族と同族であったと言います。

 

となると丹後の浦島伝説で見え隠れする日下部氏と
同族で 繋がってくることと豊受大神が祀られる伊勢外宮の
度会氏とも 繋がってくると浦島伝説と羽衣伝説は何らかの
強い関係性が ありそうな気がしてきますね。面白いですね( ̄ー ̄)ニヤリ
あくまでも僕の取り留めのない妄想ですが…。ますます
わからなくなってきました(笑)

僕のスマホの電池切れで撮れなかったのですが
実はこの後ろにとても気になる様なものがあり
ちょっとこんもりとした古墳らしきものがありました。
御神体かな?と思い、あとで調べてみると…
山東町史によると日子座王の塚だとか!( ゚д゚)ハッ!

御祭神 彦火々出見尊、日子坐王、阿米美佐利命
兵庫県朝来市山東町粟鹿2152    但馬国一宮(県社)粟鹿神社

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