『かつての栄華は・・・』上山寺と三社権現社
2017年1月28日 / 丹後の古墳・史跡, 丹後の歴史, 神社・歴史
以前からずっと行かなくてはと思いながらなかなか足を運べなかった
丹後町宇川にあるの吉野の里をずーっと奥に登り上山の集落にある寺院
真言宗上山寺。寺院前が土砂崩れをお越しましたが
今はきれいに整備されています。
この寺院は今でこそ本堂の一部のみが残るだけのかつての栄華は
感じられない状況になっています。
詳しいことは解りませんが今は廃寺になっているのでしょうか?
この寺院は丹後の中でも相当古いもので天応元年(781年)に
奈良時代末期に隠岐国から来た佐々木隠岐守弘成によって建立されました。
隠岐で佐々木氏といえば丹後国の守護に任じられた京極家と
同じ流れをくむ近江佐々木氏が元で承久の乱の功績により
出雲と隠岐の2カ国の守護に任じられたのが隠岐の佐々木氏の
始まりなのでこの佐々木隠岐守とは年代がずれてしまいますので
同じ佐々木氏ではないのでしょうか?
この佐々木隠岐守弘成によって建立された上山寺は
大きく発展し28坊もあり、上山という集落は恐らく門前町として
相当栄えたのではないかと思います。
現在はこの本堂の一部と石塔
そして、三社権現社を残すのみとなりました。
残念ながら、覆屋に鍵がかかっており本殿へ参拝することは出来ませんでした。
その当時の栄華をタイムスリップして覗いてみたいものです。
残念ながら今はそれを感じさせるものはありません。丹後には巨大寺院が
沢山ありましたが細川忠興の丹後攻め、その後の真言倒し(1593年)に
真言宗四十八ヵ寺を廃し、僧侶を追放しています。それらによって
衰退していきました。この上山寺はその時に寺領を召し上げられたことが
衰退の原因だとか・・・。
京都府京丹後市丹後町上山小字城 上山寺
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