タグ「一色氏」を含む記事

成相寺の光と影

2016年5月20日 / 丹後の歴史, 神社・歴史

先日、初めて宮津の成相寺に行ってきました。
寺伝によれば慶雲元年(704)真応上人の開山、文武天皇の勅願所と言われています。
歴史の古い寺です。今でこそ西国28番札所として観光客で賑わっておりますが

 

1592

 

元々はこれどころではないもっともっと栄華を誇っていたのです。
成相寺に行く参道の脇には『本堂跡地』『五重塔跡地』など跡地に
看板が建てられています。今の規模に比べてもっともっと大きな寺院だったんです。
それを表しているのが成相寺参詣曼荼羅

 

1593
Wikipedia:成相寺よりお借りしています)

 

今の規模とは全然異なり、栄華を誇っていたのです。しかし、戦国期の戦火に
巻き込まれ幾度と無く再興はされるものの江戸期には衰勢の一途で現在は
本堂・地蔵堂・鐘楼・奥の院慈眼堂・仁王門・宝蔵・鎮守堂残すのみとなりました。

 

成相寺の山頂展望台に行くまでに戦火の傷跡が残っています。

 

1591

 

この山からはたくさんの地蔵が出てきてます。(写真は展望台手前)
その地蔵が集められてるのが宮津市難波野の千体地蔵。

 

1594

 

ここに集められています。丹哥府志によると成相山から出たもので大半のものが
室町期から近世初期のもこの間に戦国期も含まれます。恐らく、これは戦火で命を
落とした兵士を供養したものではないのか?

成相寺は南北朝時代・戦国期には激しい合戦地であり成相寺が城の役目を
果たしていたようだ(成相寺城という城も合ったようです)そして周囲には
今熊野城・府中城・阿弥陀ケ峰城と城があり、成相寺からは天橋立が一望できる
とても良い軍事拠点にもなりうる場所です。

 

1569

 

戦国期には守護一色家(一色義有)の力が弱まると丹後守護代延永春信、有力国人衆石川直経の
内紛が勃発。その隙を付いて元々仲の悪い若狭の武田元信、管領家細川政元が加わり、
この地で大合戦が。府中城とこの成相寺が武田元信に取られてしまいます。。。

 

その時になんと・・・一色義有は夜襲をかけ成相寺に火を放ったのです。武田勢は総崩れで
武田元信は命からがら若狭へ戻ったそうです。その時に成相寺と寺を元に戻すという
約束が成されており一色氏の手により再建されているようです。

 

1573
(Wikipedia:雪舟よりお借りしました)

 

雪舟が天橋立図描いてしばらくして成相寺は戦火により焼け
小京都と呼ばれた府中も…。栄華を誇った最後の時を知る事のできる貴重な絵です。

 

京都府宮津市成相寺339 西国第二十八番札所成相山成相寺

 

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ 最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ

タグ: ,

丹後と尾張

2015年6月24日 / 丹後の歴史, , 神社・歴史

最近、丹後では名古屋との交流が盛んに行われています。
そう、丹後弁と名古屋弁と言うのはそっくりなのです。丹後では
美味しいということを

『うみゃ~』?

と言います。エビフライも

『エビふりゃ~』

で意味は通じます。 こんな感じで類似する方言が沢山あるのです。
先日、京丹後市教育委員会からこんな本が発売されました。

京丹後市の方、一冊500円です。是非買って下さい。面白いですよ(^^)

丹後と尾張はルーツが同じなのです。?熱田神宮大宮司家の尾張氏は
丹後海部氏の流れを汲む同族です。(と思ってます)尾張には海部系の
氏族が多く分布していました。丹後に因む地名もあります。愛知県海部郡は
そのまんまですね。天火明命(籠神社祭神)を祀る神社も沢山あるそうです。

大和時代には尾張氏は尾張にいる海部系氏族を統括し塩や海産物を大和に
貢納していたそうです。

時は過ぎ室町~戦国時代。
室地幕府の四職家だった一色氏は丹後国の他にも三河、尾張、伊勢、若狭など
多くの国の守護職を務め、大きな勢力を誇っていました。伊勢湾、若狭湾の
制海権を完全に掌握していました。16世紀にはいると一色家の勢力範囲は
丹後国のみとなり弱体化が著しかったものの丹後の海賊衆はかなり強かったそうです。
当時、丹後は石川氏、伊賀氏、小倉氏の三奉行が三河から一色氏を
引っ張ってきて当主に据えたそうです。ずっと何らかの形で交流はあったんでしょうね。

丹後と尾張の関係はとても興味深いですね!

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ
最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ

タグ: , ,

一色氏終焉の地『一色稲荷神社』

2014年9月5日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

今日は宮津に仕事がありましたのでその帰りに
参拝してきました。

一色氏は南北朝時代(1392年)に補任された一色光範を初代とし
最後の当主一色義清(一色有義)がここで自刃し1582年に、
室町幕府の四職の一角である名家がここで消えることになります。

一色義清の甥にあたると言われる一色義有は剛勇に優れ細川藤孝(幽斎)の
丹後侵攻を弓木城で徹底抗戦をしたました。その後、和議が成立し、一色、細川の
分割統治が始まり、細川家の姫が一色家に嫁ぎ姻戚関係が結ばれ暫くの間は
平穏な時期が続きましたが、山崎の合戦で一色家は明智光秀側についたことが
原因になり一色義有は宮津城にて謀殺されてしまいました。

吉原山城城主の叔父に当たる一色義清が家督を継ぎ、再興するが直ぐに
細川家の追討軍により、攻め滅ぼされてしまいました。その最後の地がここに
当たるそうです。

謀略によって滅んでしまった一色家の怨霊を恐れて鎮魂の意として
この社が建立されたのでしょう。

いつ行っても境内は綺麗にされており、大切にされているのがよく解ります。
プレミアムモルツの500ml缶がお供えされていました(^^)

そして、いつも不思議に思うのですがお社の扉が何故か開いております。

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ
最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ

タグ: , ,

ふとんのえびすや
京都府京丹後市峰山町呉服6
(京都銀行峰山支店前)
定休日:ほぼ無休(不定休)
営業時間:AM9:00~PM7:00

※ご遠方からのお越しの際には
ご一報連絡いただけると幸いです。


過去の記事はこちらで


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 舞鶴情報へ
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 豊岡情報へ
クリックしてくれると嬉しいです

LINK