カテゴリー「神社・歴史」の記事

最先端製鉄コンビナートがあった鳥取『吉田神社』

2014年2月2日 / 丹後の神社, 神社・歴史

 

配達の帰りに寄ってみました。何となく気になる神社で
半年に1回くらいでしょうか?よく行く神社です。
真っ直ぐにそびえる杉がとても幻想的な雰囲気を
漂わせます。でも前回に行った時よりも杉の数が
減ってスッキリとしたような…

鳥取にある吉田神社から分霊をし祭祀したと言われが
あるそうですが鳥取市にはそう言った神社はなく神名帳にも
記載が残ってません。ただ、この神社がある場所は

京丹後市弥栄町鳥取

同じ鳥取つながりなのです。

社殿も立派です。棟札を見たかったのですが見当たりませんでした。

このタイプは日本海沿岸に普及している
”出雲”というタイプで今にも飛びかかろうと
している”構え獅子”です。

詳しい由緒や歴史はわかりませんが何となく
古くから有るような気がします。

最もこの吉田神社のある鳥取という集落には
遠所製鉄遺跡という当時、最先端技術が
駆使された製鉄コンビナート跡地
があります。

丹後の古代史を語る上で放っておけない地
であるのは間違いないと思います。

口碑)垂仁天皇天下を知食御代天湯川板譽命
但馬国より当地水江に来り、彼の浮べる白鳥を
取り奉り鎮守と爲さんと墨ノ江の水笑松原村の
遠津神に御祈書ありて此水江に網を張りしに
よりて後に水江網野とは称すなり、松原村の東に
鳥取郷鳥取ありこの烏を捕へたる所なりといふ、


と『丹後国竹野郡誌』に書かれています。
丹後の地名・資料編様より参照)また白鳥は
鉄霊を指すものでもあるそうで製鉄と結びつきます。

こんな神話があります。
誉津別命(後の垂仁天皇)は言葉が喋れなません
でしたがオオハクチョウ(鵠)を見て
『あれはなにか?』と初めて言葉を発しました。
天皇の喜びは大変なもので早速側近にオオハクチョウを
捕えてくるよう命じました。このとき、天湯河板挙命
(あめのゆかわたなのみこと)が

「必ず捕えて参ります」

と約束し捕まえて帰ってきました。 その手柄により
天湯河板挙命は鳥取部の性を与えられ”鳥取”を名乗る
事になります。

ひょっとしたら鳥取は鳥取氏が居を構えていた
場所なのかもしれませんね。

吉田神社の話と全く脱線してしまいましたが
この”鳥取”という地は他にも沢山の遺跡があり
丹後の中でも重要な場所だったのでしょう!

御祭神 天児屋根命、猿田彦命

京都府京丹後市鳥取小字宮ノ森  吉田神社

 

 

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信長は神仏をも恐れぬ男だったのか?『溝谷神社』

2014年1月28日 / 丹後の神社, 神社・歴史

近くで仕事がありましたのでその帰りにちょっと
よってみました。かなり古く由緒ある神社です。

由緒は丹波道主命(丹波国を収めていた四道将軍の一人)が
創祀したのが始まりと言われています。きっと丹後の歴史を
語る上でも重要な歴史を帯びている神社では?と思います。

ちょっと面白いのがこの神社と織田信長に縁があるのです。

天正年間(1573~92)、織田信長は当社の信仰厚く、先例に
習って社殿を改築し「新羅大明神」の神号を書し額に鋳造して
奉納している。

と記録が残っていることです。学校の歴史の授業で
1571年に比叡山の延暦寺を焼き払ったと教えてもらいました。
山を丸ごと焼き払い女子供も容赦なく3000~4000人もの
犠牲者が出たと。。

ところが一方で溝谷神社の社殿を改築し、額を奉納しています。
そういう事をしたのはきっとこの神社だけの事では
ないでしょう。歴史の授業で持った信長のイメージは

”神をも恐れぬ狂ったとんでものない男”

とは違った一面の痕跡がこの溝谷神社にはあります。

信長が延暦寺を攻撃をしたのは確かな事実ですがそれには
ちゃんとした訳があったのでしょう。敵対していた朝倉・
浅井連合軍に加担していた事も要因の一つでしょう。

当時、宗教家としても堕落していて、経済を牛耳り、
僧は槍や鉄砲を持って戦争に傭兵として加担していました。
(延暦寺には4000人の僧兵がいたそうです)その軍事力を
背景に政治にも影響力を持っていたでしょう。詳しく調べて
見るとこの時代に実際に焼き払われた建物というのは
しれていたそうで殆どが年代が合わなかったそうで、
比叡山焼き討ちは誇張されていたのかもしれません。

詳しい歴史背景を僕は理解していませんが織田信長が
天下統一を果たすに辺り、また統一をしたあとにおいても
そのまま放って置いたら禍根を残したでしょう。
日本で初めて政治・経済と宗教を分離させたのが
信長かもしれませんね。

帰り際にふと見つけた磐座?
こういう所にお祭りされている神様がとても重要な
意味を持っていたりするんじゃないかと

御祭神 素盞鳴尊、天照大御神、宇迦之御魂神

京都府京丹後市弥栄町溝谷46-2 式内社 溝谷神社


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新雪を踏む『藤社神社』

2014年1月23日 / 丹後の神社, 神社・歴史

僕の趣味は丹後の『神社巡り』でして(^^ゞ
決して詳しくはないのですが丹後の深い歴史に触れて
みたいとの思いで時間があれば神社めぐりをしております。

今朝、娘を保育園に送り届けてから神社へ参拝してきました。
私が住む京丹後市峰山町久次には豊受大神が祀られている
元伊勢とも言われる『比沼麻奈為神社』が有名ですが
相対する様にひっそりと佇む素晴らしい神社です。
いつ行っても清々しい気分にさせてくれます。

今日は私が一番乗りの参拝です。(^^)何故、解るって?
それは雪が無言で物語っています。

すみません。訂正します。『人間で一番』です。(笑)
先客は鹿の群れでした。

昨年、お伊勢さんでは式年遷宮がありましたが
新しい社殿が出来、不要となった古材はどうなるの
ご存じですか?

昭和2年に丹後は大地震にみまわれました。その時、
藤社神社の社殿も壊滅的にダメージを受けました。
その時に伊勢神宮の古材を利用して再建されています。
恐らく、昨年の台風などで被害を受けた神社の再建に
使用されるんじゃないかな?と思います。

ここには少し面白い神様が祀られています。一つ目は
本殿の裏手にある和奈佐夫婦が祀。この和奈佐夫婦と
いうのは『丹後風土記』によると水浴びに舞い降りた
羽衣天女が水浴びをしている間に羽衣を隠してしまい、
天に戻れなくなった天女を養女にします。

もう一つが天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)。
瓊瓊杵尊が天孫降臨してきた時にお供をした神で
火、金工、鍛冶の神で瓊々杵命(ニニギノミコト)
この地で製鉄等が行われていたのではないかと想像します。
また天目一箇神は字の如く一つ目で、神聖さ失った姿が
一つ目小僧などの一つ目妖怪だとも言われてるそうです。

 

帰ると時の参道がなんとも神秘的でした。

主祭神 保食神(豊受大神の別名)
京都府京丹後市峰山町鱒留540   藤社神社


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