カテゴリー「丹後の歴史」の記事

巫女達が暮らした跡

2016年3月29日 / 丹後の歴史, 神社・歴史

竹野神社の近くに『巫女屋敷跡』と呼ばれる場所があります。

 

1428

 

と言いましても特になんら珍しい事もない空き地なのですが
ここに竹野神社の巫女さん達が住んでいたのです。

 

その巫女さんと言うのは何故か久美浜の市場の娘と決まってのです。
それを表すかのように市場には『斎宮大明神』という祠が大事に祀られています。

 

しかもその巫女は日下部氏の中から選ばれる。日下部氏です。
日下部氏といえば浦島太郎こと浦嶋子も日下部氏です。

 

竹野神社では”日子坐王命”が御祭神として祀られていますが
日子坐王命は開化天皇の第三皇子であり日下部氏の始祖と言われる人物。
四道将軍、丹波道主命の父にあたります。

 

また、どういう因果なのか解りませんが日子坐王命は丹後の最初の
鬼伝説で土蜘蛛倒します。次の鬼伝説では麻呂子親王が土熊を
立岩に封じ込めます。この鬼を倒した2人英雄がココに揃って祀られています。

 

話が脱線しましたが
日下部氏の中から巫女が選ばれていたということは竹野神社と
日下部氏の関係性が深いということだと思うのですが古事記でみると
日子坐王命は竹野媛の実子ではないので何故?とも思うのですが(^^;
日本書紀においては丹波道主命の娘で日葉酢媛命と竹野媛は姉妹に・・・。
そのあたりのことはよく解りませんが日下部氏と竹野神社の関係性が
少し見えるような気がします。

 

京都府京丹後市丹後町宮  巫女屋敷跡

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ 最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ

 

タグ: , , ,

豊受大神が去った日

2015年7月7日 / 丹後の歴史, 神社・歴史

今日は七夕。近くの元伊勢、比沼麻奈為神社へ参拝をしてきました。

大神宮諸雑事記によると雄略22年(西暦478年)7月7日に伊勢へと遷座されました。
豊受大神は元々は丹波国(元々丹波と丹後は一つの国)の神様でありました。

この地には羽衣天女伝説があります。丹後国風土記逸文の書かれた最も古いと
される羽衣天女伝説ともう一つ峰山町大路に残る伝説と2つの伝説があります。
丹後国風土記に残る伝説は和佐奈翁という老夫婦が天女の羽衣を隠し、
子供が居ないから娘になってくれと一緒に暮らし、天女は万病に効く酒を
作り、それによって老夫婦はたいそう金持ちになりましたが、天女は追い出され
竹野郡の奈具の村へ辿り着き落ち着くことになります。

もうひ一つは峰山町の大路に残る三右衛門(さんねも)という狩人が
天女の羽衣を隠し、天女を嫁に娶り、三人の娘をもうけました。農業、養蚕、機織、
酒造りが上手く、村はたいそう豊かになりましたが天女はどうしても天に帰りたくて
娘たちに羽衣の隠し場所を聞き出し、天へ帰ろうとするときに三右衛門が帰ってきました。
その時に『7月7日に天で会いましょう』と言葉を残し天へ戻って行きました。
子孫にあたる家系は今でも続いており、家紋は丸に七夕ととても珍しい家紋です。

どちらの神社も御祭神は豊宇賀能売命(トヨウカノメノカミ)ということには変わりません。
豊受大神と 豊宇賀能売命は同一神として扱われています(僕は違うと思うのですが)
豊受大神が伊勢へ遷座される日と七夕の日が同じというのも何か関連性を感じますね。
豊受大神と 豊宇賀能売命が同一神として扱われる理由にもなってるんでしょうか?

そしてもう一つ気になるのが浦島伝説です。与謝郡伊根町の宇良神社の御祭神
浦島子は雄略22年7月に蓬莱山へ向かうと日本書紀に書かれているのと丹後国風土記逸文には
日にちは書かれていませんが雄略天皇の御世と書かれ、海中の大きな島(竜宮城?)へ行きます。
そこには8人の童子に迎えられます。彼らはすばるぼし(プレアデス)、あめふるぼし(ヒヤデス)
からやってきたと・・・。これも何か類似性といいますか関連性を感じますね。

丹後の歴史は謎だらけ・・・。(><)

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ
最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ

タグ: , ,

丹後と尾張

2015年6月24日 / 丹後の歴史, , 神社・歴史

最近、丹後では名古屋との交流が盛んに行われています。
そう、丹後弁と名古屋弁と言うのはそっくりなのです。丹後では
美味しいということを

『うみゃ~』?

と言います。エビフライも

『エビふりゃ~』

で意味は通じます。 こんな感じで類似する方言が沢山あるのです。
先日、京丹後市教育委員会からこんな本が発売されました。

京丹後市の方、一冊500円です。是非買って下さい。面白いですよ(^^)

丹後と尾張はルーツが同じなのです。?熱田神宮大宮司家の尾張氏は
丹後海部氏の流れを汲む同族です。(と思ってます)尾張には海部系の
氏族が多く分布していました。丹後に因む地名もあります。愛知県海部郡は
そのまんまですね。天火明命(籠神社祭神)を祀る神社も沢山あるそうです。

大和時代には尾張氏は尾張にいる海部系氏族を統括し塩や海産物を大和に
貢納していたそうです。

時は過ぎ室町~戦国時代。
室地幕府の四職家だった一色氏は丹後国の他にも三河、尾張、伊勢、若狭など
多くの国の守護職を務め、大きな勢力を誇っていました。伊勢湾、若狭湾の
制海権を完全に掌握していました。16世紀にはいると一色家の勢力範囲は
丹後国のみとなり弱体化が著しかったものの丹後の海賊衆はかなり強かったそうです。
当時、丹後は石川氏、伊賀氏、小倉氏の三奉行が三河から一色氏を
引っ張ってきて当主に据えたそうです。ずっと何らかの形で交流はあったんでしょうね。

丹後と尾張の関係はとても興味深いですね!

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ
最後までご愛読ありがとうございます。宜しければクリックをお願い致します

 

メールでのお問い合わせはこちらからどうぞ

タグ: , ,

各種クレジットカード・PayPay対応

ふとんのえびすや
京都府京丹後市峰山町呉服6
(京都銀行峰山支店前)
定休日:ほぼ無休(不定休)
※御来店前に連絡を頂けると幸いです
営業時間:AM9:00~PM7:00

 

 

Gamada Hidemasa

 

睡眠や寝具の事はプロの目線で、丹後の神社や
歴史の事はよく理解せず書き綴っております。
寝具製作技能士、上級睡眠健康指導士
羽毛診断士(ダウンプロフェッサー)等の
資格を持ってます。お気軽にご相談下さい。
お越しの際には連絡を頂けると幸いです。

 

フォローしてね

LINK

 

 

過去の記事はこちらで

クリックしてね!


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京丹後情報へ
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 豊岡情報へ
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 舞鶴情報へ