カテゴリー「丹後の歴史」の記事

一色氏終焉の地『一色稲荷神社』

2014年9月5日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

今日は宮津に仕事がありましたのでその帰りに
参拝してきました。

一色氏は南北朝時代(1392年)に補任された一色光範を初代とし
最後の当主一色義清(一色有義)がここで自刃し1582年に、
室町幕府の四職の一角である名家がここで消えることになります。

一色義清の甥にあたると言われる一色義有は剛勇に優れ細川藤孝(幽斎)の
丹後侵攻を弓木城で徹底抗戦をしたました。その後、和議が成立し、一色、細川の
分割統治が始まり、細川家の姫が一色家に嫁ぎ姻戚関係が結ばれ暫くの間は
平穏な時期が続きましたが、山崎の合戦で一色家は明智光秀側についたことが
原因になり一色義有は宮津城にて謀殺されてしまいました。

吉原山城城主の叔父に当たる一色義清が家督を継ぎ、再興するが直ぐに
細川家の追討軍により、攻め滅ぼされてしまいました。その最後の地がここに
当たるそうです。

謀略によって滅んでしまった一色家の怨霊を恐れて鎮魂の意として
この社が建立されたのでしょう。

いつ行っても境内は綺麗にされており、大切にされているのがよく解ります。
プレミアムモルツの500ml缶がお供えされていました(^^)

そして、いつも不思議に思うのですがお社の扉が何故か開いております。

 

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開店休業。読書日和。

2014年8月9日 / 丹後の歴史,

ついに京丹後市にも警報が出ました。
台風11号には皆様十分お気をつけ下さいね。

でも案外と小雨だったりします。
運送会社さんはちゃんと荷物を持ってきてくれます。
なのでお客様にお届けしなくてはならない
別注品や加工品はお店にはありますが
流石にこんな日にお届けできませんね(^^;

今日はお店も暇です(^^;

こんな日には

読書がいいですね!コーヒーでも飲みながら(^^)

本は面白いものを見つけたらどんどん買っていくのですが
読むほうが追いつておりましせん(><)というのも子供を
寝かすときに自分も一緒に寝てしまうのです(笑)

お陰で睡眠はバッチリとれておりますが本が読めません。
こんな時にはジックリと読書をしたいと思います。

読みたいなと思っているのは

『出雲と大和のあけぼの-丹後風土記の世界-』
著者:斎木雲州 大元出版 2,100円(税別)

京丹後市内だけでも古墳は約6000基あると言われており
遺跡からは珍しいものが出土したり、製鉄所跡がみつかる
など丹波の国は大きな力をもっていてにも関わらず
歴史の表舞台には出てきません。ですから、丹後の古代史に
ついて書かれた本も少ないです。

ほんとは奥ふか~い!歴史を持っているはずなのに…。

追伸:丹後の歴史に関わる歴史本は淀徳書店さんが充実しております。

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『日本最古の羽衣天女伝説』乙女神社

2014年4月3日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

誰もが子供の頃、一度は聞いたことのある羽衣天女の
話。日本各地に羽衣天女の話があります。三保の松原
などが有名ですが中でも丹後に伝わる羽衣天女の話が
文書で残されたものとして最も古いそうです。

丹後には少し異なる羽衣伝説が2つあるのです。
そのうちの一つで丹後風土記に書かれているものとは
少し話が異なります。

乙女神社の天女伝説

むかしむかし比治(ひじ)の山の頂き近くに大きな美しい池があり、
その池に八人の天女が舞い降りて水浴びをしていました。  それを
見ていた三右衛門(さんねも)という里の狩人が、 一枚の羽衣を
隠してしまいまったために、天女のひとりは天に帰れなくなっ て
しまいました。天女は三右衛門と一緒に暮らすことになり、三人の
美しい女児をもうけました。  天女は農業、養蚕、機織り、酒造り
が上手で、三右衛門の家はもとより比治の里はすっかり豊かになり
ましたが、天恋しさに耐えかねた天女は三右衛門の留守中に、「お
父様は毎朝何処を拝んで出かけていくの?」と娘達に尋ねました。
娘達は家の大黒柱を指さしました。大黒柱の穴に隠してあった羽衣を
見つけた天女は、羽衣を身に着けると、駆け戻った三右衛門に「七日
七日に会いましょう」と云い残して天に帰っていきました。  しかし
その様子を伺っていた天の邪鬼(あまのじゃく)が「『七月七日に会い
ましょう』と言っていた」と三右衛門に伝えました。一年に一度しか
会えないと思いこんだ三右衛門は、天女が残していった夕顔(ゆうごう)
の種を庭に蒔いて、天女が天に帰ったことを嘆き悲しんでいました。  
するとどうでしょう。夕顔は天に向かってぐんぐん伸び始めました。
この蔓を登っていけば天に行けるかも知れないと思った三右衛門は、
夕顔の蔓を懸命に登っていき、ついに天上に辿り着きました。天上で
三右衛門は天女に会うことができました。  天上で天女と暮らしたい
三右衛門は、天帝に天上界で暮らしたいと願い出ました。天帝は天の
川への架橋を条件に出し、無事橋が架けられたら一緒に天上界で暮ら
すことを認めるとしました。  仕事を請け負った際に天帝と、橋が
完成するまでは天女を思い出さないと約束していた三右衛門でしたが、
天女恋しさのあまりついついその約束を破ってしまいます。約束を
破った途端天の川は大洪水になってしまい、三右衛門は下界へ流され
てしまいました。

凡海郷様のHPより抜粋させて頂いています。

この神社のある地域には三右衛門の末裔である
安達家には三右衛門が使っていた矢と矢筒や
羽衣伝説にちなむ掛け軸などが今でも残っています。
そそて、天女はこの安達家の庭から昇ったとも
言われているそうです。

この乙女神社には三右衛門の長女が祀られています。

さて、話は少し変わりますが川上順子さんが1995年に
書かれた『古事記と女性祭祀伝承』と言う本を一部抜粋しますと

丹波道主のこの八乙女には天から降りた天女のイメージが
重なっている。そしてまた、この乙女たちは垂仁天皇の御世に
宮中に招請された丹波道主王の女たちの末裔であったと考える
事もできるのである。すなわち、垂仁天皇の御世丹波道主王と
垂仁天皇の后妃となる道主王の女達は『神道五分書』に登場
する丹波の道主とそのこの八乙女たちの祖先であったという
考え方がなされていたのである。

8人の乙女と言うのは豊受大神を祀る女性祭祀集団では
無いのか?としています。道主王と言うの名も代々襲名
される祭祀集団の長だとも書かれています。

そして、垂仁天皇の妃としてまた神を祀る祭祀者として
宮中に喚上されています。その中で、故郷に返された女性が
存在します円野比売、歌凝比売、そして、竹野神社の齋宮に
祀られている竹野媛。

読んでみたものの対して詳しくない僕にはちゃんと理解は
出来ていませんが(もっと勉強せなあかんですね)・・・
羽衣天女の話が何処か知られざる歴史に繋がりそうな
気がしてきます。

羽衣天女伝説は一体、どんな出来事をモチーフとした
話なのでしょうか?それに加え、丹波国とは一体どんな
国だったのでしょうか?

御祭神 豊宇賀能賣神、大山祇神

京都府京丹後市峰山町鱒留蛭子堂433  乙女神社

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丹後屈指の古社!『竹野神社』

2014年3月8日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

雪がちらつく中、仕事の合間に参拝してきました。
初詣依頼今年2回目の参拝になります。

この竹野神社は丹後の中でも屈指の古社です。
この木々がかぶさるように参道を覆います。

ココが一番、竹野神社で好きな場所で趣も感じます(^^)

丹後でよく見かけるタイプの狛犬です。
出雲丹後の『構え獅子』と呼ばれる形ですね。

丹後半島の竹野川流域の神社では豊受大神が主祭神
として祀られることが多いのですがココ竹野神社は
天照大御神です。天照大御神が祀られている理由は
開化天皇の后だった竹野媛(大県主由碁理の娘)が
晩年、天照大御神を祀ったのが始まりと言い伝え
られています。(鬼退治伝説の麻呂子親王とも)

面白いサイトがありましたのでリンクさせて頂きました。

勘注系図より建諸隅命(たけもろずみのみこと)

以下リンク先より一部抜粋させて頂きますと

『勘注系図』はこの竹野媛の父親である由碁理を
建諸隅命とするのである。 開化の妃になった竹野姫が、
丹波の大縣主由碁理の娘であるということは、『古事記』が
伝えるところである。 だとすれば丹波の支配者の系譜に、
由碁理が登場したとしても不思議はない。またこの
建諸隅命は開化に仕えたとするから、開化時代の人である。
『勘注系図』の注記は開化の時代に、丹波国の丹波郡
(たんばのこおり)と余社郡(よさのこおり)を割いて、
竹野姫の屯倉(みやけ)を置い たとする。そして建諸隅命は
開化に仕えたとする。 建諸隅のまたの名を竹野別といい、
後に竹野が郡(こおり)の名前になったとする。和名抄に
記載される竹野郡(たかのこおり)は、現在の京丹後市
網野町、弥栄町、丹後町あたりでその中心は丹後町とされる。
ここは由碁理が国府を置いたと言う伝承を持つ。 開化の
妃に成った竹野媛(竹野姫)というその名前は、竹野別
(たけのわけ)という父親の名に由来するものである。
この竹野姫のもとの名は天豊姫である。建諸隅命
(たけもろずみのみこと)の又の名は由碁理(ゆごり)である。

『古事記』第九代、開化天皇記より 若倭根子日子大毘毘命
坐春日之伊邪河宮 治天下也  此天皇 娶旦波之大縣主
名由碁理之女 竹野比賣

 

勘注系図と古事記に記載される事を元にすると開化天皇の妃
だった竹野媛の父は丹波大県主由碁理であり、丹波大県主由碁理は
建諸隅命である。建諸隅命は開化天皇に使えていた。竹野媛の
元々の名は天豊姫であり、そして天豊姫はまた”台与”であると
いう説もあります。

この時代、丹波は相当な力を持っていたはずです。しかし、
歴史舞台から消されてしまったかのように残念なことに
丹後の繁栄は語られる事がありませんよね…。

ちゃんと勉強していないと調べても理解しきれず難しいですね(><)

そうそう!竹野神社にて3月23日に行われる初午祭があります。
面白いイベントもあるようですので皆さんも是非、行ってみて下さい(^^)

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御祭神 天照大御神 (斎宮:竹野媛命、 建豊波豆羅和氣命、日子坐王命)

京都府京丹後市丹後町宮宮ノ谷245 竹野神社

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松井康之の立身は丹後から始まった。『城山稲荷神社』

2014年2月19日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

僕の好きな神社めぐりですがじっくり巡ると
なるとなかなか時間がありません。なので
仕事など用事がある時にその近くの神社に
出来る限り参拝するようにしています。

が…。残念なことに今回は鳥居のみ(^^;
字の如く”城山”そう、山城跡に建立されている
神社なのです。なので登っている時間が無い
ので今回は残念ながら断念…(T_T)

先程、山城と書きましたがここは『松倉城(久美浜城』
という丹後一色家の熊野郡の拠点でありました。1582年
織田信長の命を受けた細川藤孝による丹後侵攻が始まりました。

ウィキペディア:松井康之より

その時に松井康之は松倉周防守が守るこの松倉城を
攻め落としています。のちに細川藤孝に久美浜の地に
1万3000石の知行を与えられ細川家家老となります。

それからの出世は目覚ましく武将として名を馳せ、
主君の細川藤孝や忠興に認められるのではなく
豊臣秀吉や徳川家康の信頼も大変厚かったようです。

最終的には2万8000石、熊本藩筆頭家老家となり一国
一城の唯一の例外として八代城主として封じられました。

その立身の始まりはここ久美浜の松倉城から始まったと
言っても過言ではないかと思います。今回は登城出来ません
でしたが次回は松井康之が見たであろう、久美浜の海と
町並みを眺めてみたいものです。

場所も分かりやすく久美浜小学校の裏山です。遠くから
でも山の中腹に朱塗りの鳥居が見えます。お時間が
御座いましたら歴史を偲び、久美浜の美しい景色を
お楽しみ下さい。(^^)

京都府京丹後市久美浜町  城山稲荷神社(松倉城跡)

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ふとんのえびすや
京都府京丹後市峰山町呉服6
(京都銀行峰山支店前)
定休日:ほぼ無休(不定休)
営業時間:AM9:00~PM7:00

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ご一報連絡いただけると幸いです。


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