カテゴリー「丹後の歴史」の記事

邪馬台国が丹後にあったという人は殆どいない

2017年1月21日 / 丹後の歴史,

殆どいないと思います。そんな本も見たことありませんが・・・。

1968

 

こういう事を書いてくれると丹後の人間として嬉しいですね(^^)
まだ読んでいませんがなんかワクワクしてます。ちょっとだけちら見を
してみると竹野媛は醜いから返されたのではない!とのタイトルが。
竹野媛は2人いて垂仁天皇の后として嫁いだが醜いので追い返されて乙訓郡で
自殺してしまう竹野媛と開化天皇の后で晩年故郷に帰り
天照大御神を祀ったとするのが竹野神社とされる竹野媛がいます。
古事記と日本書紀に書かれてることがどうも混同しててややこしい。
追い返された竹野媛もホントは返されたのかどうか・・・古事記に
出て来る磐長姫も醜さが故に追い返されたとありますが果たして
ホントに醜いことが原因なのか?ホントは別の所にわけがありそうですが・・・

 

後者の竹野媛は卑弥呼亡き後の男王が建てられた
再び国が乱れる倭国大乱が起こる。台与という
女性を立てると争いが収まった言われています。
その女性が竹野媛ではないかという説があります。

 

丹後の人間として丹後が邪馬台国なら実の面白いのですね。(´艸`)
真実は一体何なのでしょうか?僕には知識が乏しいので想像さえ
付きませんが。。。。

 

 

 

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天女の行き着いた場所『奈具神社』

2016年9月27日 / 丹後の歴史, 丹後の神社, 神社・歴史

丹後には可能性の濃い薄いは別として元伊勢伝承地というのが
10ヶ所近くあります。そのうちの1つ奈具神社へ行ってきました。

 

1793

 

見た感じ、ここが元伊勢?とも思えるかもしれませんが歴史的には
重要な神社になります。丹後国風土記に『比治真奈井 奈具社』という項が
あり、それが日本最古の羽衣伝説の所以です。

 

1795

 

神社の案内板。

奈具社の祭神である豊宇賀能売命は天女であり
その天女がどんな神でどういう経緯で奈具へやってきたかが書かれている
天女伝説と言うよりもむしろ奈具社に祀られる御祭神の話です。

老夫婦に追い出された天女はこの村を安住の地としここで終焉を迎え
村人によって御祭神として祀らました。

 

1796

 

奈具社は中世(1443年)に大洪水より流されてしまい村も壊滅的な被害を
受けてしまいました。村も廃村になったと言われています。その後、再建されたのが
この奈具神社です。

 

御祭神:豊宇賀能売神
京都府京丹後市弥栄町船木273 式内社 奈具神社

 

 

 

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成相寺の光と影

2016年5月20日 / 丹後の歴史, 神社・歴史

先日、初めて宮津の成相寺に行ってきました。
寺伝によれば慶雲元年(704)真応上人の開山、文武天皇の勅願所と言われています。
歴史の古い寺です。今でこそ西国28番札所として観光客で賑わっておりますが

 

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元々はこれどころではないもっともっと栄華を誇っていたのです。
成相寺に行く参道の脇には『本堂跡地』『五重塔跡地』など跡地に
看板が建てられています。今の規模に比べてもっともっと大きな寺院だったんです。
それを表しているのが成相寺参詣曼荼羅

 

1593
Wikipedia:成相寺よりお借りしています)

 

今の規模とは全然異なり、栄華を誇っていたのです。しかし、戦国期の戦火に
巻き込まれ幾度と無く再興はされるものの江戸期には衰勢の一途で現在は
本堂・地蔵堂・鐘楼・奥の院慈眼堂・仁王門・宝蔵・鎮守堂残すのみとなりました。

 

成相寺の山頂展望台に行くまでに戦火の傷跡が残っています。

 

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この山からはたくさんの地蔵が出てきてます。(写真は展望台手前)
その地蔵が集められてるのが宮津市難波野の千体地蔵。

 

1594

 

ここに集められています。丹哥府志によると成相山から出たもので大半のものが
室町期から近世初期のもこの間に戦国期も含まれます。恐らく、これは戦火で命を
落とした兵士を供養したものではないのか?

成相寺は南北朝時代・戦国期には激しい合戦地であり成相寺が城の役目を
果たしていたようだ(成相寺城という城も合ったようです)そして周囲には
今熊野城・府中城・阿弥陀ケ峰城と城があり、成相寺からは天橋立が一望できる
とても良い軍事拠点にもなりうる場所です。

 

1569

 

戦国期には守護一色家(一色義有)の力が弱まると丹後守護代延永春信、有力国人衆石川直経の
内紛が勃発。その隙を付いて元々仲の悪い若狭の武田元信、管領家細川政元が加わり、
この地で大合戦が。府中城とこの成相寺が武田元信に取られてしまいます。。。

 

その時になんと・・・一色義有は夜襲をかけ成相寺に火を放ったのです。武田勢は総崩れで
武田元信は命からがら若狭へ戻ったそうです。その時に成相寺と寺を元に戻すという
約束が成されており一色氏の手により再建されているようです。

 

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(Wikipedia:雪舟よりお借りしました)

 

雪舟が天橋立図描いてしばらくして成相寺は戦火により焼け
小京都と呼ばれた府中も…。栄華を誇った最後の時を知る事のできる貴重な絵です。

 

京都府宮津市成相寺339 西国第二十八番札所成相山成相寺

 

 

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Gamada Hidemasa

 

睡眠や寝具の事はプロの目線で、丹後の神社や
歴史の事はよく理解せず書き綴っております。
寝具製作技能士、上級睡眠健康指導士
羽毛診断士(ダウンプロフェッサー)等の
資格を持ってます。お気軽にご相談下さい。
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