カテゴリー「丹後の神社」の記事

『麻呂子親王の二人目の皇弟』松枝神社

2016年4月5日 / 丹後の神社, 神社・歴史

丹後町是安の集落のはずれに

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松枝神社があります。この神社の御祭神は大己貴命となっておりますが
松枝大明神が実際の所、お祭りされている神様ではないでしょうか?

 

松枝大明神でどんな神様なのか?
先日、ご紹介した丹後町大山にある志布比神社に祀られている
塩干大明神との兄弟にあたる神様で麻呂子親王とともに
鬼退治にやってきた松干皇子の事です。同じ、集落内には
丹後七薬師の一つ神宮寺(廃寺)の境内に小さな円墳があり
麻呂子親王の墓と言われている場所があります。

 

竹野神社を中心としてこの付近の集落には
麻呂子親王の鬼伝説に纏わる神社や史跡があります。

 

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社日塔がありました

 

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神社の裏の方に行くと五角柱の石碑を見かけることがあるかと思います。
そこには天照大神、少彦名神、埴安媛命(土の神)倉稲魂命(五穀豊穣の神)、大巳貴命
五柱の名が刻まれています。また、庚申塔なんてのもあったりしますので
神社もくまなくみてみると面白いかと思います。

 

御祭神:大己貴命
京都府京丹後市是安松枝  村社 松枝神社

 

 

 

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『鬼退治の功労者達』志布比神社

2016年4月1日 / 丹後の神社, 神社・歴史

3月は暖冬の反動のか?
肌寒い日がようやく終わり、蕾も多くなり
開花し始めるところもちらほらみかる様になりました(^^)

 

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数日前。竹野神社さんで撮影した桜の蕾ですがきっと
今頃は美しく咲いていることでしょう。暖かくなるとついつい、
神社へ行きたくなります。

 

京丹後市内竹野川流域の神社には特徴があります。
峰山町は完全に豊受大神に因む神社が多く、丹後町内に
入ると今度は鬼伝説に因む神社が多くなります。

 

先日、参拝してきた神社

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志布比神社。網野町浜詰にも同名の志布比神社があります。
志布比神社は式内社で論社になります。さてこの神社の面白いところは

志布比神社なのですが本殿に行くと額には・・・

 

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名前が違うわけです。???と思い調べてみますと。
それは祀られている神様の影響でした。
志布比(しふい)神社と呼ばれるのは御祭神が志夫美宿禰命(しぶみのすくねのみこと)
日子坐王の子に当たります。丹後の一番古い鬼伝説で陸耳御笠を倒した人物です。
塩干(しおほし)神社と呼ばれるのは塩干大明神(しふみすくねのみこと)から来ており
麻呂子親王の弟にあたります。この”塩干”に因む伝承として丹後の地名様のWebに
興味深いことが書かれていましたのでご紹介します。

 

 

大昔この付近の村々はみな高い山中にあり、竹野川の流域は海の底であったという。
その頃大山(志布比神社の裏山)に神様がいて、海水を飲み干し田圃をつくろうと考え、
一口飲むと中郡の、二口目に現弥栄町の、三口目に現丹後町の田圃が開かれた。
しかし海水があまりに塩辛かったので飲み干すことがでさず、水溜りが残ってしまった。
里の人々は神に感謝し、飲み残された水溜りの傍らに宮を建てた。
この社がのちに式内志布比神社となり、里人たちは「しおほっさん」と称し崇敬した。
水溜りは小さくなり、今では境内の一部にその跡が残るだけになったが、
明治の初年頃までは水が溜っていて塩辛かったという。

 

今でこそ、竹野川沿いには田園が広がりますが昔、竹野川の
河口付近は大きな潟湖だったと入れています。

 

話が飛びましたがタイトルの通りこの2柱は時代を挟んで
鬼退治に功績をあげた人物です。竹野神社も時代を挟んで鬼退治に
関わった人物が祀られていますがこの志布比神社に祀られている
2柱は当の本人ではないと言うことです。子と弟なのです。
それは何かを意味してるのでしょうかね??

 

御祭神 志夫美宿禰命
京都府京丹後市丹後町大山922  式内社 志布比神社

 

 

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『新選組の礎を作った男』大虫神社

2016年3月14日 / 丹後の古墳・史跡, 丹後の神社,

 

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明治維新の火付け役であり新選組の基礎を作った人物で
清河八郎という人物がいます。頭も切れ昌平坂学問所で学び
後に清河塾を開く、そこには山岡鉄舟をはじめ各地から憂国の士が
彼のもとに集まります。文武両道で北辰一刀流の免許皆伝の腕前でもあります。

詳しいことは覚えてませんが小説?の影響なのでしょうか?どうも僕の
イメージが良くないんです(^^;変節漢的な扱いをされてたんじゃないかと・・・

 

でも清河神社と言う清河八郎が祀られる神社が出身地にあるくらいで
ホントは人々に尊敬されるに値する素晴らしい人物ではなかったのか?
と思い藤沢周平の清河八郎を描いた回天の門という本を買ってみました。

 

この本に出てくるのかどうかは解りませんが清河八郎は
安政二年(1855年)に母を連れて諸国を漫遊しています。その時に
丹後の地にも足を運んでいます。その事が彼の残した
記録『西遊草』に出てきます。

 

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与謝郡の温江に母を連れて大江山まで来ているそうです。
この温江で大きな神社といえば大虫神社です。大己貴命と少彦名命の伝承
麻呂子親王を助けた白い犬が持つ鏡がここ大虫神社にあった言われています。
丹後でもとても古い神社で様々な伝承がある神社ですから清河八郎が
素通りしたとも思えず、また、大江山に登った際に元々、大虫神社が
あった池ケ成にも行ってるのかもしれません。

 

清河八郎は丹後へ来た際に誰に会ったのでしょうね?

 

 

御祭神 大己貴命

京都府与謝郡与謝野町温江字虫本1821  式内名神大社・旧府社 大虫神社

 

 

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睡眠や寝具の事はプロの目線で、丹後の神社や
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寝具製作技能士、上級睡眠健康指導士
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資格を持ってます。お気軽にご相談下さい。
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